食うために働く
ごく当たり前の事。
しかし、自分だけ食えればいい って、全員が思ってしまえば発展もヘッタクレもない。
だから
せめて、自分だけ食うために働く であっても、「人の役に立つよう」でないとね。
ITとか写真とかカメラとか
食うために働く
ごく当たり前の事。
しかし、自分だけ食えればいい って、全員が思ってしまえば発展もヘッタクレもない。
だから
せめて、自分だけ食うために働く であっても、「人の役に立つよう」でないとね。
新しいモニタを購入したので、今のモニタをどれだけ使ったか調べたくなりまして。
googleで、「20インチ site:blog.chsing.net」で検索。
購入時、過去のブログに書いた気がしたので検索してみたのです。
すると8年前のちょうど今頃、
「20インチモニタ買いました。早く届かないかなー」
のような記事。
8年前の文章や考え方、かなり恥ずかしいものがあったのですが、ふと読み返してしまいまして。
ああ この頃は大変だったなー 水泳頑張ってたなー 体重このくらいだったのかー
とか、こんな事考えてたんだー などなど。
文章がどうだとか、やってる事が情けないとか思ってみてもそれもまた自分の姿。
忘れていた 決意・夢、
やろうとしていたけどできていない事、
今こうしているのは何故か、
そんな 自分にとって とても大切な事が書かれている訳です。
TwitterやFacebookはブログのそういう性質とは異なり、「過去は埋もれていく」もの。
生きるべきは「今」
見据えるべきは「明日」
でも、時々「過去」を振り返る事は大切。
「過去は振り返るな」
うるさい ってね。
いいと感じるものはいいもの。
だから、自分のブログはいいもの です。
人の言う事を受け入れるには「自信」が必要だ。
そもそも 自分を動かす事が出来るのは自分だけである。
他人に何を言われようが、命令されようが指図されようが、自分の行いや心持ちは全て自分で決めているもの。
だから、腹が立つのも自分のせい。自分で自分の胸くそを悪くしているだけである。そんな事を人のせいにしてもどうしようもない。
自信が無く、自分を信じ切れない弱い自分のままであれば、人の言う事を受け入れるのは難しく、そのくせ受け入れるべきではない事を受け入れて相手のせいにする というあべこべな事をしてしまう。
例えばどうでもいい人間の悪口を真に受け、大切な方の助言は拒絶するような そんな事。
「無理に変わる必要は無い」「必ずしも上を目指せばいいものではない」「人それぞれ」
詭弁はそのくらいでいいだろう。自分に言い訳して何が出るというのだ。
君が留まる場所はそこじゃない。
それに気付いているから居心地が悪い って事も気付いているくせに。
いい加減、弱い自分を踏んづけて抜け出してこいって。