TwitterにおけるHP社とのやりとり顛末
HP社 とは、「ヒューレット・パッカード社」というコンピューターメーカーです。
そちらのHP社の「@HPSupportJP」というTwitterアカウントから、ある日フォローされまして。うちでは全く使った事が無く、使う予定もありませんでしたので、いわゆる「フォロー返し」はしませんでした。
数日・数週間経つと、また同じアカウントからフォローされました。(Twitterでは、フォローされるとメールが届く仕組みなのです)
「一度、フォローされた後、再度フォローされる」のは、
①フォローする → ②フォローを解除する → ③再度フォローする
という操作を行った場合にのみ起こり得ます。
通常、そんな操作は行いませんが、フォロワーを増やす目的で、「大量のユーザーをフォローし、フォロー返しが無かったユーザーのフォローを解除する」という行為が行われる場合があります。その様なツールやサービス、たくさんあります。
その様な行為をされる側は気持ちの良いものではありません。よりによって企業アカウントによる行為である場合、企業の信頼性・イメージを悪くする事は言うまでもありません。
先に述べたHP社のアカウントから、1回だけならまだしも、5回もその様な行為が行われました。
いやいや 気持ち悪いし迷惑だし、客を「データ」としてしか見ていない って事を晒す事になる訳なので、その旨をTweetしたところ、当該アカウントからリプライ(返信)があり、以下のやり取りとなりました。
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HPSupportJP HPSupportJP
chiyo3 ちよ3
chiyo3 ちよ3
友達
友達、いろんなカタチ・いろんな関係があります。
仲良く深く結びつくような関係もあれば、浅いけど何気に長く繋がっているような関係もあり。
深いから近いから長いから親友なんだ とか そういう事でなく。
「ああ そう言えば 全然べったりではないけど、なんだか随分長い付き合いだなー」
って事があったのでふと思いまして。
「よい友達」と思える人がいる事は、本当に幸せな事です。
ありがとう。
巡り、巡る
今は、自分が「親」だけど、ほとんど誰もが「子」の時、こんな風に遊びに連れて行ってもらった事があるだろう。
それ、ほとんど誰もが「楽しい思い出」として、「温かい記憶」として残っていると思う。
失うことの無い財産 ってそういうもの。
それは、黄泉の世界へすら持っていける永遠なるもので、絶対的な価値がある。
少なくとも、自分にとっては。
子供の頃、親にそうしてもらった。愛してもらった。
だから、今は自分が親として子を愛で、温かい思い出を作りたい。
子もまた親になった時、自分の子を愛で、温かい思い出を作ってあげて欲しい そういう大人になって欲しい と思う。
社会に出ると、いのち・家族・思い出 といった、本当に価値のあるものより、数字が多いものの方が価値があるのだ、数字が多い人間が勝ち組なのだ と刷り込まれる。
稼働中の資本主義システムは、かなりおかしい。
そんな社会であっても真正面から向きあいつつ、正しい方向を見る「こどもの純粋な目・感性」を持った大人になってくれれば 嬉しいな。
業界の行く末
むかーしはハードとOSがセットだった。
ハード毎に異なるOS。当然ソフトウェアは共通ではない。
「PC98版」とか「x68000版」とかが存在したため、市場に出るソフトウェアは各ハードウェア毎に開発せざるを得なかった。
しかし、Windowsの登場により、ハードが違ってもOSが一緒 となり、ソフトの生産性・品質が一気にレベルアップ。
OSに実装される機能も増え、簡易で高品質な開発言語(VBなど)が登場し、オフコン・汎用機からの「ダウンサイジング」が瞬く間に進んだ。
そんな技術革命の牽引者は「ビル・ゲイツ」であり「マイクロソフト」であった事は疑う余地が無い。
しかし、時代は流れ、webが台頭し、様々なデバイスがwebを介して接続された結果、「ハードウェア共通のプラットフォーム」は「Windows」ではなく「webそのもの」になった。
各種サービスやソフトを利用するプラットフォームの中核が「Windows」であったのは既に過去の事。誰もが携帯を、スマホを、iPadを日常的に触れ、メールやweb、各種サービスやソフトを利用している。
既に、「Windowsパソコンに触れるのは仕事時間」だけ、という人の方が多くなったのではないだろうか。ネットを見る・メールを利用する目的でWindowsパソコンに向かう人はどれだけいるだろう。
「Windowsでなければならない」理由は、特定のソフトウェア利用する場合に限られてしまったが、どうもMicrosoftは未だに「Windowsでなければならないのだ」と、現実を受け入れる事を拒否しているようにしか思えない。
話を戻して
「共通プラットフォームとしてのweb」とはいえ、それを利用するデバイスは様々でありOSも様々であるため、ソフトウェアの開発言語もむかーしの様に多様化してしまった。
androidはeclipseでjavaで書き、iOSはXcodeでobjective-C の様にバラバラである。
が、しかし、webのプロトコルは共通であるため、html/javascript/xmlの辺りを利用できれば 具体的にはブラウザのレンダリングエンジンが高速になって、アプリケーションの動作環境となればハードウェアやOSの相違は問題にならない。
えーと だから つまり
「このやり方でやっていれば、今後10年20年は大丈夫」
ってのはありそうで無くて、無さそうである という混沌とした昨今。
web的な標準はあれども実装・展開の標準は無い と。
この業界において、Microsoftがそうであったような、「どこか1社が独占で」という状況が作り出される事は二度と無いだろう。
あるルールに従ったうえで競争させられ、止まることのない進化を強要されてしまった世界
競争による進化の基盤が出来上がり、その「システム」の動作速度が加速し続ける事になった世界
システム停止は「全てがブッ壊れた」時。
この業界の行く末は「資本主義システム」と同じ様にプログラムされ、既に実行済みである
と、そういう事。
でも、資本主義システムと違うのは、貧困者や被爆者が出たり戦争に発展しない事。
所詮、計算機の中の出来事だから ね。
成長と対象と自分の関係
macbookairと自分の関係についてこういうイメージが浮かびました。
①「出会い」の段階
・対象(Mac)のことがよくわかりません。
・対象を見上げている状態です。
②「共にある」段階
・対象と自己がひとつになっていきます。
・対象の良さに気付き、もっと知りたくなり、深く入り込んでいきます。
・対象の全てを肯定し、心を許し、魅了され、対象に取り込まれる段階です。
③-1 味わい尽くし、「距離を置く」段階
・対象の事を知り尽くすと、自分との違いに気付き、不満が出ます。
・対象に対して「こうあるべきだ」という意見が出てきます。
・取り込まれていたこころが外に出て、「自分と対象」を区別するようになります。
・対象と決別する場合もあります。
③-2 「③-1を俯瞰する」段階
・対象と自分の関係を客観的に俯瞰でき、双方の良し悪しや違いを受け入れます。
・決別であれ共存であれ、出会えた事や共にあったこと、意見を交わしたこと全てに感謝や喜びを感じます。
④「誰かに薦める・教える」段階
・見上げていた対象の高さに自分が登ったことを自覚して自信を持ちます。
・対象と自分の関係性について、人に紹介したり教えたりして感謝の気持ちや成長する喜びを分かち合おうとします。
→この段階で教えたり紹介したりする「相手」が「対象」に代わり、相手も自分も「異なる対象」の①段階となります。
これってmacのことだけじゃなく、「もの・人・場」など全てに言えることかも知れません。
カメラも花も水泳も仕事も友達もみんなこんな感じだなー って。
他方を知る
最近、macbookAir使ってます。iPadも使ってます。
Appleにヤラれております。実際、大変よろしいです。
メインマシンもmacに換えていこう と考えています。
操作感、速度、各種動作の滑らかさ・スムーズ感は「汎用OS」の比ではありません。
あらゆる面で、Windowsは後塵を排してしまった。
もうMicrosoftはダメだ。
そう思っていたのですが。
でもやはりWindowsの方がいい所、macだと扱いにくい所がわかって来ました。
「ああ Windowsってこういう所いいよな」
と思えたのは幸い。
Windowsでなければいけない事、Windowsの方がいい所、たくさんありました。
もちろんその逆もたくさん。
Twitterだと「ダメだなこれ」と感じた感情のまま書き込んでしまい、結果、偏った考えになりがちでしたが、ちょっと抑えて感情が収まってからじっくり考える、と。
そういうモードに戻してもいいかも。
秋 だから。
何で やねん。
twitterとブログ
ブログを書く時間は、自分と向き合う時間でもあったけど、永らくtwitterばかり触ってたらブログを書くのがおっくうになってました。
じっくり考えて書く行為はtwitterとは逆。
tweetを読み返すと、何でここにこんな重い事を書く って内容が結構あるもので。
軽くユルくがtwitter、しっかり考えるのがブログ と、きっちり使い分けてみようかな と。
入力デバイスは何がいい?
やっぱりキーボードがあるMBA かな?
ありがとう&さようなら
ITはあっという間に新しいものが出てきて枝分かれしていくものです。
技術者としてあれこれなんでも手をつけても全てをモノには出来ません。中途半端に終わるだけです。
よって、長い間 – 10年以上 – Microsoftのやり方に従い、Microsoft的なやり方を突き詰める という方針で現在に至りました。
しかし、近年のMicrosoftは完全に右肩下がり。特にWindows VISTAの頃、完全に道を踏み外したように思います。
現在、スマホやiPadを始めとするタブレット・スレートといったデバイスがITの世界の中心的な役割を担うに至っており、html5周りのプログラム開発が盛んに行われてもいます。
が、Microsoftはその辺、全く追従できていないという現実。Google / Appleの後塵を見事なまでに拝しています。
技術やソフトウェア製品で対抗 が本来の「あるべき姿」でしょうが、Androidの一部機能に関するライセンスだとか特許だとかで対抗するのが関の山。
そんな会社から魅力的な製品・サービスが生まれる事は全く期待できません。
最近購入したMicrosoftの新製品、「Touch mouse」。
流行りのジェスチャ操作をWindowsで行える という事で購入したのですが、ホイールマウスより使いづらいという無様。多くの人が扱うであろうAdobeスイート(Photoshop / Illustrator)ですら横スクロールも対応できていません。
lionというOSのジェスチャ操作の快適性を知ってしまった身としては、正直「粗悪品」としか捉えることができませんでした。
まあ
WindowsServerは必要ですし、そこで動かすソフトウェアの開発にもWindows端末が必要です。WindowsOSが消えてなくなる訳ではないし、Office製品も然り。
だから、Windowsは「使い続けなければいけない」ため、当然使い続けますが、メインの端末はMacに換えていく事にしました。
ジョブズがお亡くなりになりそうなので、今後先はわかりませんが、Appleが良い と言うより、Microsoftがダメになり過ぎました。
MSDNサブスクリプションも次回更新は辞めて、単体購入に切り替えよう と。
今の状態で起死回生は考えられません。沈んでいくだけでしょう。
いくら大きくても泥船に乗り続けようとは思いません。
とりあえず使うけど、ちょっとずつ排除していきます。
今までありがとうございました。さようなら Microsoft様。
道が開ける時
例えば、
「本当はやるべきじゃない。でも、食うためにはやらなきゃいけない」
「信頼を失ってしまった。謝りたいけど謝れない。どうしよう まあいいか」
「自分が何とかすべき。でもリスクが大き過ぎる。このままにしておこうかどうしようか」
そんな、葛藤を伴う事。恐らく誰にでもある事。
往々にして、「現状維持」を選択してしまうものです。
でも、ひょんなキッカケが得られると、いきなり前向きになれたり、突然解決したりするもの。
そのキッカケは人であったり時間であったり様々。
そんな時、「流れる風」のような、「勢い」のようなものを感じます。
その流れや風や勢いに、自ら進んで乗った時、道が開ける と言えばいいのでしょうか。
それもまた、恐らく誰にでもあった事 ではないでしょうか。
均衡が破れた時、止まっていたものが動き出す。
現状維持 を辞めた時、ものごとが進みだす。
よく考えれば当たり前なのですが、「道が開ける」事の反対、「悩んで凝り固まる」事とは、葛藤などによる「よろしくない現状維持」を続ける事によってもたらされるのでしょう。
結果はどっちでもいいから、「保っているバランス」を崩してしまえばいい。
悩んで苦しんで何もしないより、一歩でも踏み出した方がずっと楽でマシ。行動出来ないのであれば、誰かに話すだけでも楽になれる。
自分だけが弱いんじゃなくって、みんなほとんど同じ。弱った時に取る行動が違うだけ だよ。きっと。