真のような事

真のような事 – 正しいけど矛盾めいていて理解が難しく、言葉での説明が困難で、腹に収めるのが大変な事 – 例えば「師から弟子に伝承する技」のような事。

「大きな」目標・夢

とは、言葉で書き綴る事が出来る程度のものではいけない。

「それを実行可能な単位に細分化してひとつずつこなす」

とは、合理的で耳触りが良いが、「それ」は効率や合理性の延長線上には存在し得ない。

「それ」は、もっともらしい理屈や論理、尺度の中に収まるものではない。

「大きな」目標・夢 を、そんな小さな容れ物に押し込めちゃダメだろう。

心配し過ぎない

心配し過ぎると、相手を思うあまり、「こうした方がよい」「こうであるべき」と、つまり 酷いおせっかい状態に陥る。

心配し過ぎるくらいの相手は、既にかなり弱っている。

弱っている相手に「こうであるべき」と、考えを押し付けてもダメだろ。

気が病んでいたのは自分の方。

ようやく気付いた。

ごめんねよしこ。

人を統制するには

ひとつの目的に向かって どうこう

とかそういうものじゃない。

鬱の本にも書いてたけど、人間を突き動かす最も強い感情は「憎しみ」である。

だから、敵を作ればいい。

統制したい人々にとって共通の「憎たらしい敵」を作ればいいだけ。

テレビや新聞、各種メディアに「原発は悪だ」「半島人は悪だ」と載せる程度の事。

実に容易い。

原発問題然り、半島問題然り、既にヤラれてるでしょ? 踊らされてるでしょ? って話。

確かに、

天皇を侮辱される事は国辱そのものであり、お隣の大統領の発言は許されるものではない。

が、

政治家とは何だっけ どういうものだっけ

と思い起こすと、

野田氏を見てわかる通り、官僚の使いっぱに過ぎない。

官僚もまたカネがある奴の使いっぱ 犬に過ぎない。

要するに

お隣のお偉いさんも特定のチカラやカネに「言わされている」だけであろう。

だとしたら、憎むべき相手は違う。

が、その「相手」がそもそもよくわからない。

よくわからない相手の事に一喜一憂する なんてアホらしいと思いませんか?

そうやって

一喜一憂した時点で、いい加減に「統制されている」と気付くべき でしょう。

「がんばれ」

目の前にある問題。

手を下せない時・言葉を発してはならない時がある。

大切な人・家族・仲間がそうである時、とてもツラい。

心の中で「がんばれ」って思うだけ。

きっと上手くいく と信じ、解決を願う。

正しい願いは、時がくれば必ず叶う。

困った時の神頼みとはこの事。

ダンスが上手い人

某ダンス講師曰く、「上手い人は、足腰がしっかりしている」 と。

ダンスに限った話では無いな と思いまして。

スポーツ全般然り ですが、足腰 即ち 基礎・土台の大切さはあらゆる物事に言える事 です。

生活における、足腰 とは 家庭。

「足腰」である家庭に問題があれば、上に乗る「生活」がグラグラ。

仕事でも何でも、生活の上に成り立っているので、家庭がダメだと何をやっても上手く行くはずなど無く、引いては人生そのものが上手く行かなくなります。

しっかりしなきゃ