手入れ

手入れは大切である。

例えば一度建てると手入れしなくても永久に過ごせる家 など無い。

庭木も然り。剪定したから後は永久に何もしなくて良い訳など無い。

もともと人など住んでいなかったこの地。

手入れをし続けているから、人が住むことができている。

つるがからみ付き、葉っぱと苔にまみれた廃墟を見ればわかるだろう。

あらゆるもの、手入れしなければ自然に還る。

古いもの アンティークの類が良いとされるのは、手入れの大切さを知り実践できる人が丁寧に使い続け現代まで受け継いできた という価値による。

ものは使われるために作られる。飾るために作るのではない。

よいものを持ち、扱っている人はそれが出来ている。

金があるからよいものを持ち、扱っているのではない。

彼らは、もの・人に対し手間ひまを惜しまず丁寧に接し、手入れを続けるこころを持っているから、よいもの・よい人と共鳴し合い、引き寄せられ、人を通じ金も巡って来るのである。

友を思い時々顔を出したり連絡をする、よいものが手に入ったら差し上げる、施されたら礼を尽くす。

人に対する「手入れ」、そういう事かも知れない。人間関係の手入れ。

夢目標に向かう事よりも、そういうこころを持ち過ごす事の方が大切。

そういうこころを持ち過ごす事で、結果として夢目標も叶うのだから。

人に対する手入れ ものに対する手入れ

どちらも「自分のこころの手入れ」によって成される。

こころの手入れ、ひとりだと難しい。

だから、家族に 友達に感謝 です。

離れるもの 寄り添うもの

離れていく者があれば、寄り添ってくる者もいる。

自分を基準に考えると、離れていく者と寄り添ってくる者は真逆の属性を持つ。

「類友」

離れていく者、寄り添っていた頃はそうであった。

類友であった頃、確かにあった。

以前は離れていたが、寄り添って来た者は逆。

交わる事が無いと思っていた者、いつの間にか類友。

人間の状態、一定ではない。

森羅万象 万物と同様、常に変化し続けている。

だから

今の自分がどうであるかは、周りを見ればすぐわかる。

素晴らしい人がそこにいるから 救われる。

「ああ 大丈夫なんだ そうか 卑下するのは自分にも相手にも失礼だな」

と 冷静になれる。

ブログを書く時間 こころの整理。

タラしても

タラしてもタラしても仕事が来る。

ひとつ片付けば3つ仕事が来るから一向に減らない。

前向きに考えたいが、ただただ疲弊。

泳いだり 酒を飲んだり 写真撮ったりして現実から目を背ける。

この状況 仕事量とかパワーとかの問題ではない。

家庭の問題。

困難はどこの家庭にでもある事。

うちだけじゃない。

知ってる。

疲れたこころで そんな事を考えていても

やはり新しい仕事が来る。

こんな自分に仕事を任せていただける ってのは本当にありがたい事。

現実を前向きに捉える事ができている反面、疲れてしまった自分もいる。

片方の自分は上へゆっくり、もう片方の自分は下へゆっくりと向かっている。

こころの乖離が進行中 気付いてる。

ゆっくり休んだほうがいい って思うけど

家庭に問題があれば、本当の意味では休めない。

でも 自分はこの家の主であり、男であるから、絶対に負けない。

闘い抗い耐え抜き、最後は勝つ。

当たり前の事。

そうそう

受け入れて向き合えば実際はたいしたこと無い。

まだ受け入れ切っていないだけ。

今よりツラい状況は既にくぐり抜けてきた。

それに比べれば余裕 だろ 自分。

ブログ書く余力もある。

大丈夫。