光志との全ては思い出となりました。
人生とは思い出作り。
楽しい事、悲しい事など、心が揺さぶられる経験を思い出として心に刻む という事。
この世で成すべき事は 思い出 という財産を築く事です。
そんな事はわかっていて
子を亡くして一番つらいのは、「子の命を救えなかった」事であり「愛しい我が子を殺してしまった」という罪の意識です。
もっと早く病院へ連れて行けば良かった。
医者にもっと状況を伝えれば良かった。
「たぶん大丈夫」と甘く考えなければ良かった。
それらをやらなかったせいで 光志の命を失ってしまった。
亡くなる間際の苦しそうな声。
痛かっただろう 苦しかっただろう。
なんでそんな目に遭わせてしまったのか。
死んで詫びても親としての自分を許せない。
ごめんなさい じゃ足りないけど 本当に本当に申し訳無い。
黒い自責の心と空虚な後悔に心が満たされ、苦しくなるのですが
光志はもっと苦しかったはず。もっと痛かったはず。
本当にごめんね ごめんなさい。。。
そんな やり切れないどうしようもない堂々巡りに陥るのですが
たくさん撮った光志の笑顔の写真を見ると、救われます。
「パパ ママ 大丈夫だよ」
と語りかけるかのよう。
どこかの記事、
「子供の写真を大量に撮り貯めたが、そんな時間があったら抱きしめるべきだった」
とありました。
でも、違います。絶対違います。
「撮るか抱きしめるか」という「二択」にする事がそもそも間違いで。
撮って抱きしめれば良いだけです。当然の事です。
写真は大切な思い出であり、財産であり、残された家族の心のよりどころにもなる、人生における大切なものです。
姿が見えないだけで側にいる 家族はいつまでも5人
そうである事を感じるためにも、たくさんの写真をプリントして家中に飾ったり、一緒にどこかへ連れていったり したいのです。
カメラをお持ちの親御さん。
お子さんの写真、どうか たくさん撮ってあげてください。
切に思います。