栄養の偏り

肉ばかり 脂ばかり摂り、栄養が偏ると身体に変調を来す。

働いてばかり 遊んでばかりで休まない。活動と休眠のバランスが偏っても変調を来す。

ものの考え方にも言える事。

テレビで言っている事は嘘だ 嘘だからネットだけを信じる

ネットも怪しいから見ないし信じない 書籍だけを信じる

書籍も嘘だらけだから 友達だけを信じる

異を排斥し、嘘だダメだ と、偏った知識・情報ばかり得ていると、考え方やこころに変調を来すだろう。

ものの考え方が偏り過ぎると、左翼思想 右翼思想 原理主義 といった辺りに行き着く。

それらが悪いとは言わないが、少なくとも 豊かで温かくて平安なこころ とは異なる。

何でも入れれば良いものではないが、偏り過ぎるのはもっと良くないですね。

因果応報

水泳。

タイムや成績、即ち「結果」を決めるものは「練習」である。

よい練習をすれば良い結果が得られ、手を抜いたり下手な練習をしても良い結果は得られない。当然の話である。

練習量が多ければ良い という事ではなく、質の良い練習、目的を持った練習をすべきである。

「生き方」についても同じ事が言える。

良い生き方をしていれば良い人生となり、手を抜いたり下手な生き方をしていれば悪い人生となる。これも当然の話。

今の自分は良い人生を送ってるのかどうか。

もし、悪い人生を送っているのだとすれば、今までの生き方 考え方 心持ち 生活習慣 付き合う人 が良くなかったという事。

その事を受け入れた時から、好転が始まるものだと思うのです。

何がいけないか どうすれば良いか の前に、「否を認め受け入れる 素直になる」 という事。

他人に否定された事を素直に認め受け入れるのは難しいから、自ら気付かなければならない。

人生も 仕事も 趣味も 人付き合いも みんなそう。

終わりは始まり

それが最新で最良で特別な事であっても、いずれは古くなり廃れ、誰でも出来る事になったり、新たなものに打ち負かされたり。

流行るものは廃る。

役割を終える日が来た時、また新たな「最新で最良で特別な事」に取り掛かれば良い。

「どうせ そんな事の繰り返し」

と捉えるも

「そうやって進化・成長する」

と捉えるも自由である。

経験則として、

「どうせ」

などと嘆く人間、使えない。