ダメな奴と一緒になりたいか?

地震 放射能 火事 親父

怖いもの・ヤバいものの数など数えきれない。

災害への備え 大切だろう。

放射能防御 大切だろう。

でも、

それら 怖いもの に囚われ過ぎてないか。

ビビって縮こまって何もしない人生ってどうなんだ。

政府がバカ 東電は嘘つき だから、この国はもうダメだ??

連中はダメかも知れないが、自分も一緒にダメになる必要など無いだろう。

バカや嘘つき、ダメな奴と一緒にいたい奴はそうすればいい。

 

地震と事故からもうかなり時間が経った。

多くの – と言うかほとんどの – バカでない「日本人」、地震の際もパニックなど起こさなかった「日本人」は、震災前とは比較にならないほど、放射能や災害から身を守るスキルを身に付けている。

震災以前に、「原子力の専門家」と言われていた人間、「使えない」事がよくわかった。

放射能スキルを身に付けた多くの日本人、彼ら専門家より知識も情報も持っている。

だったら、もうビビり過ぎるのはやめて、身に付けたスキルを行使して日常を過ごした方がいい。

それがいいそうしよう。

いい事言う人

いい事言う人、特にブログやSNSで多く見られる。

ただ、それが自分の言葉かどうか は極めて重要。

人の見極め・分別のポイント。

家族のこと

家族の事で心配事やトラブルがあると、他の事はうわの空。

誰それが大切だ 誰それは友達だ

って思っていても、家族に何かがあればそこが最優先。

「かけがえのないものは家族」

って事、痛い目に遭ってから思い知らされ、気付く。

痛い目に遭わずとも、常にそういう心持ちであり続けられるほど、人は利口ではない。

少なくとも、自分は

「理念が全く同じ」

昨夜のTVショーにて。

某政党代表が、某団体に対して「うちと理念がうりふたつだから一緒にやりたい」的な発言。

理念が同じだから一緒にやろう って聞いたことあるなそう言えば と。

当時、

一緒にやろう って言った側は、すっかり傾いて廃業寸前だったから、すがり付いた

って風に見えた。

事実、一緒にやろう って言った側は、その後、倒産。しかも警察のご厄介になるという不始末。

まあ それはそれだけど、その時と感じとカブってる。

つまり、「理念が全く同じ」という白々しい言い訳をして、助けてもらいたいのね と。

政治家など正義の味方ぶっているだけで、そんなものだろう。結局、誰しも我が身が可愛い。

そもそも、会ったこともない人に期待しても何も出ない。

「理念が全く同じ」頼るべき人 は、「自分自身」以外に無い。

「トライアスロンやりませんか しかもフル」 

おとといの事。

スポーツクラブにて、インストラクターの方から声を掛けられました。

「どうです?慣れましたか?」

「ああ けっこう慣れてきましたね」

「バイクとスイム両方やってますね。うちのトライアスロン企画に参加しませんか?」

「トライアスロン??このジム内でですか?」

「はい。バイク100km、ラン42km、スイム10kmを完走するんです」

「は!? いや ちょっと まだ自信無いです」

「大丈夫ですよ!如何ですか??」

「(ここの連中、そういうの平気でやる訳??マジすか??) いや もう少し慣れてから考えます」

「そうですかー もし気が向いたら声をかけてくださいね!」

といったやり取り。

後でよく考えたら、1日でそれ全部 しかもジムの中ってあり得ないよな と。

もう一度聞いてみたら、「2月・3月の2ヶ月の合計」との事だったので参加する事にしました。

ランは膝に自信が無いので、先にスイムとバイクをクリアして、並行で足の筋肉を鍛えて体重も減らしていけば走れるようになるかな と。

何をやるにしても、「目標」は大事 です。

新しい事をはじめる時のドキドキワクワク

息子、勉強は全く出来ませんが、感性がなかなかよろしいと思います。
カメラを持たせると、どうやって撮るんだろう といった写真を撮ったりします。上の写真もそうなのですが。なぜ「太田胃散」だけピシッとしてて、他がブレてるのか?? など。

いや そういう話ではなく。

ものごとが始まる時、大きなリスクを背負って始める時ほど、希望と不安が入り混じった何とも言えない「ドキドキワクワク」感を感じます。

自分がそうでなくても、身近な人がそうである時に「ドキドキしますー」などといった声を聞くと、その「感じ」が蘇る訳です。ついさっき蘇りました。

それは「よい」感じ。

「よい と感じる」事は、よい事なのです。間違いの無い「感覚」。

新しい事を始める リスクを背負ってでも「今より上」を目指して取り組む

それは、極めて素晴らしき事で、事を起こすのであれば常にそうであれ という事。

ただし、「今より上」の定義、現代社会においては「今より多い収入を目指す」という勘違いに陥りやすいので、そこは 分別。

結果として収入が増える事があっても、それが目的なのではなく、今よりよい事をする 今よりよい自分になる それを目的とする事 が、「今より上」の正しい定義 です。