視野と人間関係

容量無制限オンラインストレージ なんてサービスが安価に利用出来るようになったので、古いデータの整理とかコツコツやってました。

何年も前の「やりたい事」「新しい事業」なんてドキュメントが見つかり、眺めてみたら、そこにはITの世界に埋れていた自分が垣間見えまして。

その当時、仕事はIT一本、仕事以外の何か と言えばバンドをやっていた事くらい。バンドで関わる人も、顔馴染みだけ と、はっきり言って「広がることのない人間関係」の中にいた訳です。

人間関係・人付き合いは、広がればいい というものではありません。
が、人としての「視野」は広がるべき。独り善がりで他を受け入れない様な世界に閉じこもっていてもつまらないだけ。

人付き合い 特に仕事以外での人付き合いが増えると、視野が広がり、ものの見え方が変わるものです。

善い人は善い人とつながっていて、悪い人も然り。
類は友を呼び、人生のベクトルは「人間関係」に大きな影響を受けるもの。

当時の人間関係・世界の見え方と、今のそれはかなり違います。

いいのか悪いのかはわからないけど、少なくとも以前よりは「この世はよいものだ」と思えるから、前には進んでるんだろうな と思えました。

分岐点のキーワードは水泳・花・カメラ。

ありがたい。感謝。

self

自分と同じ人間は存在しないけど、人間は共感を得ようとしていて、共感を得たときは喜びを感じる仕組みになっている。

それは人間のサガであり間違いではないけど、共感を得られない時、即ち「自分と違う」時、己を押し付けるのは間違い。

が、それも、正しくは「間違い」ではない。

自分はどうであるか どうでありたいか という部分に確固たる信念があれば、誰に何を言われようが自分自信がブレる事はない。

もし、自分自信がブレたとしたら、それは「自ら選んでそうした事」であり、「誰かにブラされた」のではない。ブレる事を好み、選択したのは自分以外の誰でもない。

褒められる事と、批判される事はほとんど同じ。

「自分との違いに反応していただけた」

って事。

つまり、

「嫌われるのが怖い、人からよく思われたい」

って思いだけに染まると、自己・個性が埋没してしまう。

「嫌われてもいい」

って心から思えれば、リミッターのようなものが外れて自由になれる。

その辺の確信は、「写真」から得た事。

師に感謝。