イメージはカタチになる

「上手くいかない どうやってもダメだ 右肩下がりだ」

そんなイメージを抱けば間違いなくそうなる。

そして言う。

「やっぱりな」

と。

「一流になれない この程度が関の山だ 自分の資質はこんなものだ」

たかが思い込み。

されどその通りになる。

逆も然り。

憧れ 希望 夢

やがて来る明るい未来を信じて、楽しそうに話す人もまたそうなる。

そういう経験、誰でも一度くらいはあるだろう。

具体的なイメージはカタチになる。良い事も悪い事も。

「こうなっちゃイケナイ」 ではダメ。

「イケナイ」イメージがカタチになるから。

「こうなりたい」「既にこうである」「いついつはこうなっている」 と 思い込む事。

ひとりで仕事を始めた頃、今よりずっと必死だったから、いつもそんなイメージを描いていた。

だからカタチになったのだと思う。

今は、逆。

これじゃダメ。

逃れるべきリスク よりも 輝ける未来 を描かないと ね。

何が損かと言えば

1%の富裕層と99%の云々が

ってよく聞くけど、その言葉によって、

「自分は99%の側の人間であり、搾取されたり損をして生きている。今までもこれからも」

って思い込む事が「損」であろう。

「カネなんて云々」とか言いながらも、そもそもその1%と99%を分けているものは「カネ」である。

「カネばかりの奴はクソだ」とか言いながらカネに注目し、「自分のカネが少ないから損なのだ」などと宣う。

バカ ですか。

カネが欲しけりゃ働けばいいだろう。

働かない理由を並べて、税金もろくに払わずに、カネのある者を妬み、自らは何もしない って何ですかそれ。

一生懸命働いたからカネを得られる訳ではない。誰でも知ってるだろ。

カネが欲しけりゃカネをになる仕事をすればいい。

「それはズルい」 とか、結局理由つけて何もせず、そのくせカネの事を一番気にしている。

いじめがどうだとか野田政権がなんだとか、自らが働く事や生活を営む上で関係の無い方ばかり向いて「自分は99%で損をしている」なんて言ってる奴。

働かない理由考えてどうする気だ? 何が出る?

「働かないでメシを食うのが得で、働くのは損」

って君が虐げる「1%の人間」の在り方そのものだろ。

口先はいいから働いて、テメェの稼ぎでメシ食えって。

核武装

原発の存在意義、一部の人間のメシのため だったら納得出来ないけど、この国の核武装のため だったら納得。

「核のゴミ 処理し切れない」と言いつつ秘密裏にプルトニウムいっぱい取り出して、「JAXAのロケット技術でイトカワ5号」打ち上げだーと言いつつ秘密裏に核ミサイルをいっぱい作っておいてくださいね と。

ただ、いずれにせよ安全管理はしなきゃいけない。

何度も書いたけど、地震・津波対策は向こう数十年間必要な最優先事項だと思うのです。

原子力・核を「推進するか辞めるか」は二の次でよろしい。

どうか惑わされずに

よいもの・よいひと

美味しいもの・美しいもの・ワクワクするもの

そういったものは人に薦めたくなる。

「これ美味しいよ」「すんごくキレイだよ」 とかって。

自らが作ったり産み出したものであれば尚更。

そこには利害や駆け引きが無い。見返りも無い。

「すごくイイ」って高まった思いを伝えたり分かち合ったりしたいだけ。

もの も 然りだが、ひと も 然り。

「すんごくイイ人だよ」 って紹介したくなる人。

そういう人、周りに一人でもいれば幸せ だと思うのです。

そういう人がいて、よいものを産み出せる自分もまたここにいる。

そんな風でありたい 訳です。

方法はいくらでも

できる方法はいくらでもある。

できない 無理 と、決めつけて「やらない」のは、実に楽な事。

大抵の事、できない のではなく、やらない だけ だろ。

ただ

心持ちが下向きだと、そんな風に できない 無理 って思い込みがち。

だから、上を向いて。

上を向くのが難しかったら、上を向いてる人に会えばいい

と思うよ。

孝行

親のために何かをする も親孝行だけど、自らが幸せに生きる事の方がよっぽど親孝行。

それ、親だけじゃないな と ふと思いまして。

幸せに生きる事 は、家族のためにも友達のためにも行うべき事だよね と。

姿無き者の力

今現在、姿が無い – その場所にいない – 家族や友達。

彼らの存在は、生きるお見本であったり、存在自体によって安心がもたらされたり、反面教師であったり、憎まれたり憎んだりと、自らの生き方・考え方・行動に対して、何らかの影響が与えられる。

それが、姿無き者の力を受けている という状態。

姿無き者が、生きていても死んでいてもそれは変わらない。同じ様に力を受ける。

亡き者に護られる とはそういう事だろう。

亡き者でさえ、自らに力を与えているのだから、生きている者は尚更。

だから、正しい願い・望み・祈りは叶う。必ず。