パソコン変遷

8ビットマシンの時代を経て社会に出た頃は汎用機隆盛時。

パソコンはおもちゃでした。

しかしWindows95登場と共に風向きが変わり、汎用機・オフコンからパソコンへの移行が進み、当時「ダウンサイジング」と呼ばれていた潮流に。

汎用機の開発に飽きていた頃、WindowsPCは非常に刺激的でした。

初めて買ったWindowsPCは「FMV Biblo」というB5ノート。

120MHzのPentium、800MBのHDDのマシン。30万円くらいだったかな。

ノートPCで昼夜・場所を問わずAccess/VBを駆使したプログラミングに夢中になり、会社側にも認められて自部門全員のPC本格導入。

古い技術にしがみつく人、新しい技術に情熱を燃やす人、はっきりと別れた頃。

PCを自作する様になり、やがてインターネットが普及。56KモデムからISDNへ。

ISDNを使ったWANシステムを構築。

ネットワークとデータベース技術とを本格的に身に付け、県下へのシステム展開。

その頃に退職しましたが、県規模のネットワークシステムをほとんど一人で構築できるパワーと自信があったので、ある会社のネットワークと新規システムを一気に作り上げ、それがキッカケとなり独立。

独立してから間もなくの頃は、デスクトップを何台も組み上げて所有。

モバイルノートとして買った2台目のPCが「vaio SR」。やっぱりB5サイズの小型ノート。

東京国際フォーラムに出向いた際、プレゼンを受けた東芝の「タブレットPC」が3台目のノートPC。あんまり使わなくて売っちゃいましたが。

独立してから4年くらいは、客先の事務所にほぼ常駐だったのでノートPCはあまり必要ではありませんでした。自宅と客先に自分のデスクトップがあったので。

が、自宅事務所にいる事が多くなった5年目頃、客先のデスクトップを引き上げ、それに伴い客先作業用ノートとして買ったのが「vaio typeS」。

PentiumM 2.13GHz、メモリ2GHzというスペックは今でも使えるほど。かれこれ6年ほど、つい先日まで使っていた 訳です。

が、そのvaio、2年前頃に「事故」がありまして。修理したのですが、「水平な場所に置いて使わないと(持って使うと)青画面になる」という後遺症が残り、「持って使う」「サッと出してパッと使う」様な本来のノートPCとしての使い方が出来ないままでおりまして。

そして、この「MacBook Air」に至る と。

お客さんのところで触ったら、それこそ「サッと出してパッと使う」事を地で行くレスポンスと大きさ・重さが気になってしまい、八戸まで見に行って買ってしまいました。

八戸 ってMacのショップがあるから、そこでしかMacは手に入らない と思って片道2時間以上かけて出向いたのですが、本日近くのヤマダ電機でも売っていると知った残念な日、ちょっと過去15年ほどを振り返ってみた 次第 でございます。

感想:基本、モバイルノートを買う人なんだね 自分は

お盆明けの買い物

ほぼ毎年、お盆明けのこの頃、大きめの買い物をしてしまいます。

ねぶた祭り〜お盆休み と続くため、少し「仕事」から一歩引いて、ものを考えられる期間だから なのかも知れません。

今年はこのMacbook Air、Adobe CS5.5の辺り。意外にもカメラ用品ではなく。

そして、この時期に買ったものは、今後の「要」になるものが多い気もします。

Mac / Adobe に、カメラ って、既にSEではなく、別な仕事の人だなー と他人事のように自分を眺めてみたりしつつ、Macに向かって行なっている作業はSQL ServerとVS.netの辺りをごりごり。

やっぱりSEなのかしら いや 何でもいいか。

自分はオリジナル。

そしてmacユーザーへ

時代は変わるもの。

20年・30年はwindowsが席巻するかと思っていたパソコン市場。

気付けば「windowsパソコンでなければ出来ない」事が少なくなっていました。

microsoft社の株価も、1位のapple社から数える事4番目。

隆盛を誇ったwindowsも、大将ビル・ゲイツが去った後、なし崩しに衰退しているように見えます。

「それでも私の場合はwindowsパソコンが無ければ仕事にならない」

と思っていたのですが、どうやらそうでも無さそうで。

メインPCはwindowsですが、ノートPCをMacBook Airにしてみました。

まだ開封すらしていないので今後、どうなるかわかりませんが、私の様なVS.netを使ってIISアプリを開発するのが主業務の様な人間でも、ノートPCはmacでもイケる という事になっていたとすれば、microsoftはまさしく風前の灯 な訳です。

そうだとすれば、「基本的にmicrosoftのやり方に従って」ものを作ってきたスタイルを大幅に換える必要がある と。

その辺、これから解る事。

楽しみであり、ちょっと怖くもあり、「心踊る刺激」である事は間違いなし。

さてさて

選挙?

選挙には必ず行きなさい。

選挙に行かない者は、「①ダメな奴だ、国のやる事にどうこう言う資格は無い」 というカテゴリに分類される。お前は関係ない 投票しないのだったら外れろ と、蚊帳の外に置かれる。

まあ 確かに「権力の側」にとって、選挙に行かない者は「使えない奴」である。繰り返すが「権力の側」にとって「使えない奴」であり、「一般国民」にとって ではない。権力の側にとって「使える奴」とは「隷属させられる奴」の事。

選挙に行くという事は、誰かを選ばなければならない。

買い物に行くと、店によっては「こちらとこちら、どちらにしましょう?」と、買うか買わないかも決めていないのに選択を迫られる場合があり、非常にうざったく意地汚いと思う事があるが、これと同じである。

それこそ 目くそと鼻くそ、どちらか食べなさい という事を迫られる。

食べない という選択肢は、前述の通り。

いつも目くそを食べていた日本国民。前回の選挙では鼻くそが勝った。

鼻くそが勝った結果、政権は国民を被曝させ、自らは保身 という犯罪的な政策を取った。復興など眼中に無く、内輪の権力争いに大忙し。反吐が出るほどご苦労な事。

鼻くそを批判すると、「②鼻くそを選択したのはあなた方だから、あなた方に責任がある」 というカテゴリに分類される。国民が悪い、有権者が悪い、子供を被曝させたのは自分たちだ と刷り込まれる。

被曝の元となった原子力。福島原発の「釜の蓋」が開いたら、日本どころか世界の闇 – 放射能と利権の仕組み – が陽の元に晒された。

原子力を推進してきたのは政権を奪われた目くそ。

鼻くそが嫌だからといって、目くそに戻す となると、再び「純然たる拝金世界」という闇に覆われてしまう。原発の安全性、放射能の安全性が「再評価」され、再び原発も推進される。

③核武装の隠れ蓑 であり 利権を貪る温床 であり クリーンどころか人類を破滅に導くものでしかない「核」利用を進めていく など正気の沙汰では無いだろう。人間あっての経済であり、経済あっての人間ではない。

議会制民主主義だか何だか知らないが、目くそを選んでも、鼻くそを選んでも、どれも選ばなくても不正解となる茶番が堂々と行われている。

そもそも、そんな連中に何かを期待する事こそが不正解であり間違い。

選挙・主権・社会・国家・国民に関する教育の根本が誤りであり偽りである という事。

暴動やデモ、起きて当然であろう。

拝金豚連中はその辺を理由に世論を誘導し、より世界を不安定にして戦争でも起こして一儲けしたいのだろうが、そこに取り合う必要はない。

冷静に、現状の社会システムの問題を全てさらけ出したうえで、改善するなり作り直すなりすればいいだけであろうが、既得利権にしがみつきたいがために、それを阻む人間の方が多く、尚且つ力を持ち、社会に出る「情報」すら支配状態にある始末。

電波や紙媒体を介して伝わってくる情報を信じてはいけない。

結局、目の前の出来事、身の回りの出来事だけが真実であり、信頼に足るものである。

働く事の意味をもう一度

震災後、「夜に仕事をする」事をやめていました。

なるべく朝早く起きて、散歩できる日は散歩に行き、写真撮ったりして、朝ごはんを食べて仕事をする。

夕食を食べた後は、仕事をしない。仕事をする場合でも21時には終える。

それで効率が下がったか、生産性が落ちたか と言えば全くそんな事はありませんでした。

以前まで、「日夜問わず働き勉強し続ける事が美徳であり、休む事や愉しむ事はお金をいただいている相手に対して申し訳ない」と、そんな風に思っていたのです。

でも、やめました。

そういう生真面目な生活を自分に対して望む人は、自分を切り捨てるかも知れませんが、それでもいいや と。

何でも無理に今日中にやらず、明日でもいい事は明日ちゃんとやる と。遅れたら謝る と。

休まずに働くのはそもそも何のためか と。
そう。生活のため、お金のため です。

しかし、震災の日、思ったのは、
「今ほどお金をもらわなくても食べていける」
「自分も子供も奥様も豊かな生活を望んではいない」
そんな事。

一生懸命働く とは、寝る間を惜しんで、命を削って仕事をする のとは違います。「一生懸命」という偽善を演じ、お金をいただく相手に媚び諂う行為こそ強欲で浅ましく薄汚いものだ と。

朝と夜は家族みんなでご飯を食べる。夕食の後は家族の時間。夜になったら早く寝て、朝早く起きる。

それって、人間として極当たり前の事で、自然な事。
そうではない不自然な生活を自らに強いる必要などありません。

食えなくなったらどうする? 作ればいいだろうし貰えばいい と。
自分で作れないのであれば、「貰うために何かをすればいい」と。
本来、「働く」とはそういう事だったはず。
「お金をもらう為に働く」事はその延長ではありますが、本分ではありません。 

仕事が余裕なんだろうとか、貰いがいいからそうなんだろう などと妬む人も出てくるでしょう。が、妬む人が悪いと思いますし、そういう人とは付き合いたくないのでちょうどいいや と。

もうちょっと、

もうだいぶ、

「現代人」として ではなく、「まともな人間」として、楽で幸せで良い生き方、要するに人間らしい生き方をしよう と。そう決めた。

 

親と先生

教える・躾ける より、やって見せる って事。バカかこの人 って思われるくらい本気で。

教え方がどうこう、経営や組織運営がどうこう ってどうでもいい。

自分が出会った「先生」は、(失礼ながら)そんな方々。

「これ」って決めたものを一途に愛する姿勢、生き方、情熱。強がってでも諦めずに貫く様。

口では何とでも言えるもの。言葉は頼りない。生徒も子供も、言葉は見ない。行いだけを見る。

正しい人生・幸ある人生とは、「愛と情熱の実践」のようなものだと思う。

そこに明確な方法や答えは無いから、「生きるお手本」は貴重であり、本当に価値のあるもの。

何が正しいかわからない と言うよりも、虚栄・詭弁に囲まれた嘘だらけの今日この頃だからこそ、そんな「先生」「親」は社会の宝であるように思う。

 

美しい衣装

ねぶた祭。

ハネトはハネトの衣装を、囃子方は囃子方の衣装を身に纏う。

最近では「よさこい」のような新しい形の衣装が見られるが、やはり旧来の衣装の方が風情を感じるし、美しいと思う。

たぶん、写真を始めていなかったらそういった感性は愚鈍なまま生きていたと思います。何が良いのか何がおいしいのかわからずに彷徨っていたんだろうな と。

あー

写真と花

やってて本当に良かったー と心から思う次第です。