蒼い響き

たまにボカロ曲を聞くようになりまして。

商用音楽とは違う、良い曲を作りたい思いが溢れているような面、イイな と思ってまして。

取り上げる題材や乗せるメロディー、無機的な声などは、表題通り「蒼い響き」に感じます。

生まれた意味 生きている意味 何もわからず、明るい未来を受け入れられず、不安で寂しいような思春期の「蒼い」波長と共鳴しているような。

今はその 蒼い響き が懐かしくて美しいものに思えるのです。

不惑 四十路 そりゃそうだ って話なのですが。

「完成されていなくて 安定していなくて でもエネルギーは余っていて」

未熟で若くてダメなもの と決めつけていた感覚、「美しくて何かイイ」ものとして写真なり花なりに使ってみようかしら。

「ひとりでやる」

事業をひとりでやる

と言おうが思おうが、最低限自分以外の客が1人以上いなければやれません。

何をするのにも協力者は必要で、今まで成し遂げた事も全て誰かの協力を得ていた という事。

「ひとりでやりました」

という思いがあるとしたらそれは傲慢というもの。

そんな思いを持ち続けていると、協力者が離れて当然なのです。

だから、関わった人に

「ありがとう」

という思いを持つことが出来ていれば、つまり

上手くいっている大丈夫

って事ですね。

 

そんな風に

思えてますか?

同じ話

昨日も今日も同じ話をしたのです。

しっかり稼ぐ とは しっかり仕事をする という事。
しっかり仕事をする とは しっかり稼ぐ という事。

今日、お客さんのところへ出向く前、ふと10年くらい前に作った資料が目に付きまして。

仕事のやり方、昔はこうだったんだなー って自ら感心するほど、非常に細かく丁寧な計画が書かれていました。

会社勤めだった頃は組織で仕事をしていたので、そういった計画を立て管理資料を作るのが日常でした。

一人になってからもしばらくはそうやって仕事をしていたのですが、関わる人が少なかった当時の自分には無駄でもあった訳で、「こういうものを作るのに時間をかけるくらいだったら」と、次第に計画や管理にかける手間と時間が少なくなり現在に至る、と。

気付けば関わる人が増え、やらねばならない事が増えたのに、計画・管理が弱ければ行き当たりばったりな対応となり、やがて仕事も行き当たりばったりで粗末なものになっていくのでしょう。

しっかり丁寧に仕事をしていたつもりでも、計画・管理の不行届きによる遅れが多発している今日この頃。それこそが現実であり、計画・管理を怠った結果であります。

尚更、外に見えない部分だから指摘される事も無く気付かなかったトコロ。

未来を見据える前に、しっかり見つめるべきものは足元。

ぐらつく土台の上に城を築いても ね。