「復興」という光が、「原発事故」という雲によって遮られ
なんて考え続けても疲れます。
先週の事。娘、花生け。
息子も同じものを生け、私が生けたものもあるので、家は花でいっぱい。
そういえば明日から4月。
いつもだったらキラキラした季節ですが、まだ曇りがち。
ま そのうち晴れるね そうね。
大丈夫。きっと。
んー 薔薇が並んでる・・・
ITとか写真とかカメラとか
「ただちに健康への影響はございません。冷静な対応を」
とは、
・今日明日の段階で健康へ影響がでる汚染状況では無いが、数ヶ月・数年後には何らかの影響が出るかも知れません
・被曝線量に関するデータを提供するので、被曝量を判断し、危険な場合は自己責任において逃げてください
といった意味であろう。
放射能による「実際の被害」は今日明日の事ではなく、今後先数年数十年に及ぶものだが、そういった「将来に渡る影響」に関して彼らは一言も発していない。
当然、責任は負えないし負うつもりも無く、何年か後に実際の「被害」が発生し、後々訴えられたとしても「将来に渡る影響はその時点では解りかねた」「当時、政府見解を発表した時点では死者や放射線障害による健康被害は出ていなかった」 「因果関係は証明のしようが無い」と逃れるために、ああいう言い回しをしているのだろう。
それが良い悪いと言ったところで何も起きない。
国が、東電が、命や健康の保証をしてくれる訳ではない。
健康被害が出てから訴えを起こしたところで、放射能に蝕まれた身体が元通りになる事などない。
自分の命・家族の命は自ら守るのみ。
放射能に関する正しい知識を身に付け、正しい情報を得、彼らの言うとおり「今時点ではまだセーフだから、これから冷静な対応をする」事こそが、原発事故への正しい向き合い方ではないかと思います。
近年、「エコ」という言葉が流行ってました。
本来は「生態系」的な意味ですが、一般的には「限りある資源を大切に使おう」 といった事が「エコ」の意味合いだと思います。
が、いつの間にか「CO2を排出しない電気に移行すればエコ」である、という概念にすり替っていました。その根幹には「電気は無尽蔵である」という非常に大きな間違いがある訳です。
計画停電が現実的に実施された事で、その事に気付きまして。
電気も有限です。無尽蔵に湧いてくるものではありません。
電気に限らず ですが、「無尽蔵に湧いてくる」前提で事を進めるのは「エコ」の本質と真逆な事。
「排出量取引」なんかで解決できる話ではありません。
「電力はこのくらいしか供給しません。後は各々が考えて使ってください」
としてくれた方がいいな と。
「無尽蔵にエネルギーを生み出す」事を止め、各々が知恵を出し合い、協力し合って限りある資源の中で何とかする ってのが、地球と人間が共存していく道 – 地球規模の生態系(エコロジー)に人間および文明が取り込まれる道 – だと思います。
獣の類と同列となって生きる本能と欲望だけに身を任せて地球を削るのではなく、「知恵を使う」 と。
我々、人間ですから。
地震よりも原発事故の方が注目度が高い気がします。自分も気になります。
地震は過去の経験があるためか収束に向かっているように思えますが、原発事故は悪化しているようにしか思えません。
そもそも原子力発電所の構造、原子力発電の仕組み、運営上のリスクをはじめとし、どうなれば「沈静化」状態なのかすら、何もかも解らないため、「落とし所」が見えず不安だけが蔓延している気がします。
停止しているから大丈夫 と言われていた施設から出火や放射能漏れがあったり、注水による安定していると言われていた施設から放射性の水蒸気が噴出してみたり、廃墟のように吹き飛んだ施設の写真が出てきたり と、不安を掻き立てる内容の情報しか入ってきません。
よって、
「現に、そのくらい深刻な事態なのだ」
という確信が深まるばかり な訳です。
しかしながら、自分でどうこう出来る「相手」ではないため、状況や指示をただ受け入れるのみ。
一体どういう結末が待っているのか。
今日明日でどうにかなる事故でない事は明白ですが、できるだけ早く「何とか大丈夫だった」って情報が入ってくる事を信じるだけ です。
なるべく気にせず、指示があれば従い、自分がすべき事をする。
それだけ。
Windows7にSP1を当て、VirtualPCを起動しようとしたところ、起動できませんでした。
アップデート(KB958559)が必要との事でアップデートなう。
http://www.imicrosoft.net/windows-virtual-pc-for-windows-7-sp1/
アップデートしても起動できないので、再起動してみます。
→再起動後、起動に成功。良かった良かった
「誰にも理解される事のない自分だけの闘い」
昨日今日とまさしく正念場だった訳ですが、ほぼ理想的な最高の結果で乗り切る事が出来ました。
ほっと一安心。
依頼元の長に
「うまくいきましたよー!!」
と伝えたら、深々と 本当に深々と頭を下げられました。
自分だけの闘い では無かった という事。
自分しか出来ないのだから自分だけの闘い ってのはどこかヒネた考え方。
成功を願い応援してくれる人、成功を信じてくれる人と共にある って事。
不安な気持ちを聞いてくれる人、何かしら手を差し伸べてくれる人、みんなありがたいな と思いました。
ヤマを超えただけで、全然終っていないけど、ありがとうっ!!
フラグ という言葉、俗世間的に耳にするようになりましたが、プログラミングの世界では昔から使われている言葉 – 言葉というより技術 – です。
例えば 特定の処理を実行する際、フラグが立っていれば平常処理、フラグが立っていなければ処理は実行しない とか、プログラム中のそういった判定などに利用されます。
自分の「ITフラグ」とでも言うもの、しばらく立てていませんでした。ITフラグよりはむしろカメラフラグだったり水泳フラグを立てていたと思います。
昨年、Androidを手に入れてから、再びITフラグが立ったようで、身の回りの人々から堰を切ったようにIT的な処理要求がやってきました。
素早く設計し、素早く組み上げるのは得意中の得意ですが、以前と比べて作業の範疇の広さと関わるべき人の数が膨大 な辺り、当然負荷が高いながらもある意味新鮮。
予定は未定。
そういう状況は全く想定していなかったので、「今年の抱負」とは違う方向へ進んでいます。
でも、悪い感じはしておらず、やっぱり「ITフラグ」が立った自分が一番自分らしくて頼り甲斐がある というもの。
明日からが正念場。
不安と期待はほとんど同じ。
ITフラグが立っていると湧いてくる、どこか懐かしく強い力に任せて乗り切る だけ。
涼しい顔で。