GFX

久しぶりに書く。

写真教室は無くなり、写真の仕事もほぼ無くなった。

時々、仕事撮影は入るが微々たるもの。

予定している撮影についても機材は十二分に足りている。

しかしGFX50sIIを予約した。

最重視すべきダンス撮影には使えない。

かつて Canon7Dを使っていた頃、フルサイズ画質というものに興味が湧き、5Dmk2を仕入れた。

APS-Cでは無理である解像感・階調は素晴らしいの一言。

やがて発売された5Dmk3に置き換え。これ一台で全て済む素晴らしいカメラだった。

その後、ミラーレスが主流となり、FUJIFILMのそれを使用したところ、APS-Cでありながら、5Dmk3に勝るとも劣らない写真が撮れる事が解った事、フルサイズ機の大きさ・重さにより仕事以外での持ち出し頻度が減った事、5Dmk4が異様に高かった事から、Canon機材を全て処分し、FUJIFILMに入れ替えた。

写真の画質はセンサーサイズに比例する。

35mmセンサーの画質は知っているが、中判カメラの画質はわからないので、GFXに興味はあったものの、レンズ込みで100万円を超える初期投資はする気になれなかった。

登場したGFX50sIIはレンズキットで50万円切り。即予約。

中判にしては小さいとはいえ、フルサイズ機より大きく重い。5Dの時と同様に持ち出し頻度が低いかも知れない。そもそも撮影の仕事が少ないので使い倒せるとは思えない。

しかし、写真は結果が全て。

じっくり撮影する事に関し、現在 最高の結果を出せるのは間違いなく中判のそれ。

客先から求められるものではない。求めているのは自分自身。

ワクワクするとはこういう事。久しぶり。

写真を撮るという事

日々カメラを携行していても、写真に収めたいものが無ければシャッターすら切らず写真を撮らない。

写真に収めたいものがあっても、それが目の前に無ければやはり写真を撮ることはできない。

撮りたいものがあり、それを撮れるカメラがあれば写真を撮ることができるが、
撮りたいものがあり、それを撮れるカメラがあっても写真を撮ることができない事、多くある。

今の自分に欠けているものは どうしても撮りたい という気持ち。

・仕事で必要だから撮る
・写真展に出展しなければならないから撮る

義務的な意識・責任感だけではダメで、欲求として欲望として「撮りたい」気持ちが湧いてくるようでなければよろしくない。

ところで 何を撮りたいのかしら。

手入れ

ほったらかしのブログ、何気にアクセスしてみたところン1000件以上のスパムコメントが承認待ち。面倒なのでコメントされていた記事を削除。

動いているもの・生きているものは手入れが必要で、放って置くと使い物にならなくなる訳です。

ブログ 閉じちゃおうかなー

実用性

X-PRO2を使う度に感じるのは「X-T2の方が使いやすい」という事。

バリアングル液晶は地面スレスレのアングル・レベルを要求される際に有用であり、

光溢れる自然風景を適正な露出でキメる際にも、大きくて視認性の高いEVFは有用である。

しかし

実際持ち出すのはほぼX-PRO2。

それは、T2より劣る操作性を、カメラを操作し 工夫して撮影する事が楽しいから。

X-PRO2というカメラには、業務用途では許されない要素が色濃く「搭載」されている。

利便性を優先すれば、より現代的な改良を施すべきだが、昔ながらのそれを残している。

「不便」すら「仕様」であり、そこが「実用性」を超える「機能」なのである。

だから 明日も持って出歩く訳なのです。

「忘れていた撮影の喜びを思い出した」

的なレビューが多い事が頷ける。

弱さの現れ

けっこう前に関わった方。

彼にとって私は「お客様」であります。

私の注文に際し、

「すぐに聞いてみますので」

と、目の前で早々の電話連絡。

電話連絡先は商品の仕入先。

「あの商品あるかね 大至急欲しいのだが 頼むよ」

的な あからさまに高圧的な態度。

その商品を注文し、1週間ほど経ってから突然訪問を受けまして。

「在庫が無いそうでして。。。」

ネットで調べたらあちこちに在庫のある商品です。

その仕入先も在庫の1つや2つ、すぐに探せる程度のものです。

仕入先との関係がよろしければ「今は在庫無いけどここから取りますよ」的な応対は受けて然りでしょう。

高圧的な態度で接してくる「弱い奴」と関わりたくないのは当然。

「無いのでごめんなさい」

と電話を切られて当然なのです。

区切り

15年ほど前、公開自社サーバを構築し、webシステム・ホームページをホストする仕事を始めた。

構築の手間暇・費用はかかるが、最良と判断して今まで運営してきた。

しかし 気付けば 「個人」がmicrosoftやamazonの巨大サーバを現実的な価格で利用する事ができる時代。

自社サーバの調子が少し悪くなった事、自社サーバ・ネットワークではパワー不足となる仕事が入りそうだった事、自分自身の不測の事態を考えるべき年齢になった事などにより、自社サーバを止めてmicrosoft azureに乗り換える と決めた。

今は あと1サイト、azureへ移行すればサーバの電源を落とせるところ。

自「社」サーバ とは言え、体制は自営業のそれである。

15年間、もし壊れたら 電源が無くなったら 出かけている時にそうなったら などと不安を感じ続けていたが間もなく終わり。

ほっとした安堵の気持ちと、大切な仕事を失うような空虚な気持ちが入り交じる。

 

物理マシンを組み上げて

ネットワークを構築し

webサーバ・DBを立ち上げ

それらの上で動かすシステムを作り

サービスを提供し

提供先をサポート

それら全てを 自分一人でやってみたかった。

 

実にひとりよがりな 興味 であり 身勝手な挑戦 であり 客先にとってはリスクが伴なう存在 であろうが

結果、人の役に立てればいい と。

人の役に立てれば 結果として飯が食える。

そうやって 今まで何とか食べてきた。

 

「全部自分で抱えてホストするのも、マシンを借りてホストするのもさほど変わらない」

のかも知れないが、自分にとっては大違い。

 

やりたい事をひとつ成し得たのだ と自分に言い聞かせて一区切り。

 

仕事 責任 をひとつ手放せば、新たな事がひとつ出来る。

 

一番面倒だった長男の子育ても間もなく終わる。

大仕事がふたつ 終わろうとしている。

 

あー 寂しい

目指していたものは何だろう

「より良い企業へ就職する」事を夢見て幼年期を過ごす者は 恐らく いない。

成長過程で、「将来」について、学校から親から友達から言われるほとんどの言葉は

「どこへ就職する?」

といったもの。

自分が持っている能力や夢を鑑み、就職先を考え出す頃、「夢」が消滅し、「就職先を決める」行為へと変わる。

やがて職に就くと、どこへ就職したか 給料はいくらか そんな事で優劣が決められる。

実に くだらない背比べ。

目指していたところはそこだろうか もちろん 違うだろう。

向いている方向の違いに気付いたら、即 行動に移すべき。

今すぐに出来る事 ひとつくらいある はず。

捨てるから得られる 別れるから出会える

.aspxを捨てて、asp.net MVCへ完全移行する事にしました。

枯れた技術は安定しているので、リスクを伴なうアップデートとも無縁。

「安定稼働させる」事が目的ならば、最新のものより枯れたものを使うべきであり、10年以上そうして参りました。

結果、安定稼働させているシステムやwebが安定的な収益を産み、新技術の導入やアップデートに関わる時間的コストも極めて低い状況となり、合理性・収益性の高い業務運営が出来ました。

そのようにして得た収益・浮いた時間を、本業に付随するデザイン系の業務へ投資したところ、これらの業務もまた収益を得、本業のIT系とは異なる人間関係やキャリアを育む事が出来ました。

しかし

本業とは異なる業務を長期間続けてよく解ったのは、自分の本分は プログラマー である事。

仕事をする 責任を果たす に当たり、愚直に取り組んだり人を使ったりするのではなく、システムやアルゴリズム・機械を操り、自らは最短の手数で仕事を終える事を目指す

そういうスタイル・やり方を楽しい・面白いと感じ、それこそが時間を忘れて没頭できる事、生涯やり続けられる事

勤めていた会社を辞め

会社でやりたかったけどやれなかった事をやるのだ

と思っていた頃の気持ちが蘇りました。

 

それは「慣れた.aspxを捨てる」と決めたから、得られた思いであります。

安定軌道に乗せる

家庭・仕事

固定的な収入を得、安定軌道に乗せることを目指す。

安定軌道にはなかなか乗るものではなく、必死に働き工夫をこらす。

何らかのきっかけで足元を見たり、今現在を振り返ったりした時、

「安定軌道に乗っている」

と気付く事がある。

必要以上に頑張らなくて良い

ここを目指していたのだな

といった思いに浸り、安寧な時を過ごすのは少しだけにした方が良い。

高くなくてもいいから、次に登る山を決めて支度をはじめた方が良い。

この世に生まれてきて、今、生きているのは「安定軌道に乗せる」ためではなく「山に登る」事が目的なのだから。

時間は限られている。

今すぐ はじめよう。

楽は人を作らないが

辛い練習に耐える

困苦を受け入れ乗り越える

「成長」と思える経験はそんな時にあったはず。

プラス思考だとかポジティブだとか そうじゃなくて、誰でもある経験則の話。

楽しい事は良いこと。
行きたい場所へ行き

食べたいものを食べ

会いたい人と会い

欲しいものを得

願いが叶う。

願望が成就するとは聞こえが良いが

欲を満たしたところで人間の成長など無い。

楽に浸る人間こそが不幸であり、「かわいそう」と思うべき対象である。

でも

困苦を嘆き、楽を妬む人間はもっと不幸である。

彼らは彼らと同じような 不幸な人間と出会う事を求め

傷を舐め合うか

自分の方が少しマシ

と思いたいだけであり

他人の幸福に腹を立てるか

引け目を感じる心のクセによって

楽しい事・良いことには決して共感してくれない。

彼らは「毒」である。

彼らを「かわいそう」と思ってはいけない。

目を覚ますまで関わるべきでは無い。