X-PRO2とX-T2

比較される事の多い(?)X-PRO2とX-T2ですが、撮れる写真は全く同じではないかと感じます。

ボディの放熱効率の差により、X-PRO2/X-T20と比べ、X-T2はダイナミックレンジ・高感度ノイズ耐性に多少優れる、という検証データを見たことがありますが、実用した限りでは差がわかりませんでした。

ただし、撮れる写真ではない部分にはかなり大きな差・違いがあると言いますか、そもそも別物。

動体撮影におけるEVFの見えはサイズが大きくフレームレートの高いX-T2が上である事は当然として、動体AF精度もX-T2の方が上であるように感じます。AF-Cカスタム設定の「カスタム」有り無しの差も(利用する者にとっては)大きいと思います。

仕事現場では露出はじめ設定を細かく変更しますので、ISO感度やドライブをダイヤルで直接変更できる点、X-T2が扱いやすく感じます。

三脚にセットした場合は背面液晶を使う機会が多く、バリアングルであるX-T2の方がよろしいです。

以上、業務用途では断然X-T2の方が扱いやすく、非常に「真面目」なカメラであると感じております。

対するX-PRO2は非常に「不真面目」。

OVFは目的ありきのシーンでは全く役に立ちません。実に不合理。
面白いかも知れないけど使えないな と、当初は思っていました。

が、ちょっとずつですがOVFでも思い通りに撮れるようになってきまして。

撮れた結果を先に確認するのではなく、結果を頭でイメージし そうなるようにカメラを操作してシャッターを切る というのが本来の撮影行為というものであり、それは誰でも簡単にできるものではなく、練習が必要であり、如実に個性が現れるものでもあります。

自動露出・自動焦点にはじまり、カメラはさまざまな機能の自動化が進み、今や一眼レフ機でさえ「被写体にカメラを向けてシャッターを切るだけ」で写真が撮れるようになってしまいました。

それは、目的ありきの業務用途では非常に便利でありがたい事なのですが、「撮影行為という楽しみ」はすっかり損なわれてしまっています。

EOS 5D mark3 は、まさしくそういう「自動撮影」ができるカメラでした。
被写体をファインダーで覗いてシャッターを切れば、ほぼ問題のない写真を「撮ってくれる」実に真面目な機械です。

X-PRO2が不真面目なのは「そこんとこ お前がやれや 練習しろや 腕磨けや」と現代の「カメラが行うべき仕事」を放棄しているところ。

本当は一番楽しい「そこんとこ」をわかっているが故の設計であり、だからX-T2との「ダブルフラッグシップ」が必要なのだと思います。

カメラを携行する

FUJIFILMへ移行してから、カメラを携行する機会が増えました。

増えたと言うよりほぼいつも持ち出しています。

これによって、写真を撮る機会が増え、要望に対するフットワークも軽くなり、良い写真を多く撮る事が出来るかも と考えていました。

が しかし

写真展に展示して多くの方へお見せしたい写真は、片手間ではなかなか撮れません。今年の写真展へ出展する写真も悩んでおります。

「撮るぞ と決めて準備をして、現場へ足を運んで丁寧に撮影する」

のが自分のやり方・ワークフローであります。

スナップカメラを片手にshootして「作品」を産み出す事にはまだしっくり来ておらず。

ミラーレス移行した結果、道具が軽くなり日常的に良くカメラに触り写真を撮るようにはなりましたが、本当の「結果」が伴ってくるのはまだ先のようです。

 

弱さの現れ

けっこう前に関わった方。

彼にとって私は「お客様」であります。

私の注文に際し、

「すぐに聞いてみますので」

と、目の前で早々の電話連絡。

電話連絡先は商品の仕入先。

「あの商品あるかね 大至急欲しいのだが 頼むよ」

的な あからさまに高圧的な態度。

その商品を注文し、1週間ほど経ってから突然訪問を受けまして。

「在庫が無いそうでして。。。」

ネットで調べたらあちこちに在庫のある商品です。

その仕入先も在庫の1つや2つ、すぐに探せる程度のものです。

仕入先との関係がよろしければ「今は在庫無いけどここから取りますよ」的な応対は受けて然りでしょう。

高圧的な態度で接してくる「弱い奴」と関わりたくないのは当然。

「無いのでごめんなさい」

と電話を切られて当然なのです。

XF16-55mmとXF50-140mm

とある撮影業務を終え、結果を比べると50-140mmの方が圧倒的に良く撮れていた。

50-140mmはX-T2、16-55mmはX-PRO2で撮ったのでカメラの違い(jpeg現像の違い・ピント精度の違い)かも と思い、55mm付近を検証してみたところ、解像感が高いと感じたX-T2で16-55mmを絞って解像力ピークにした場合でも、X-PRO2+50-140mmの開放の方がよく解像する。

XF56mmf1.2とも比較したが、50-140mmのそれは遜色が無い。

実戦ケースで頻度が高い、被写体との距離が一桁メートル程度のテストだったので、近接撮影時や遠景はどうかは解らない。
が、XF16-55mmは単焦点に「迫る」レンズであるが、XF50-140mmは単焦点と「遜色ない」レンズであり、両機の撮像性能差は大きい と感じた。

区切り

15年ほど前、公開自社サーバを構築し、webシステム・ホームページをホストする仕事を始めた。

構築の手間暇・費用はかかるが、最良と判断して今まで運営してきた。

しかし 気付けば 「個人」がmicrosoftやamazonの巨大サーバを現実的な価格で利用する事ができる時代。

自社サーバの調子が少し悪くなった事、自社サーバ・ネットワークではパワー不足となる仕事が入りそうだった事、自分自身の不測の事態を考えるべき年齢になった事などにより、自社サーバを止めてmicrosoft azureに乗り換える と決めた。

今は あと1サイト、azureへ移行すればサーバの電源を落とせるところ。

自「社」サーバ とは言え、体制は自営業のそれである。

15年間、もし壊れたら 電源が無くなったら 出かけている時にそうなったら などと不安を感じ続けていたが間もなく終わり。

ほっとした安堵の気持ちと、大切な仕事を失うような空虚な気持ちが入り交じる。

 

物理マシンを組み上げて

ネットワークを構築し

webサーバ・DBを立ち上げ

それらの上で動かすシステムを作り

サービスを提供し

提供先をサポート

それら全てを 自分一人でやってみたかった。

 

実にひとりよがりな 興味 であり 身勝手な挑戦 であり 客先にとってはリスクが伴なう存在 であろうが

結果、人の役に立てればいい と。

人の役に立てれば 結果として飯が食える。

そうやって 今まで何とか食べてきた。

 

「全部自分で抱えてホストするのも、マシンを借りてホストするのもさほど変わらない」

のかも知れないが、自分にとっては大違い。

 

やりたい事をひとつ成し得たのだ と自分に言い聞かせて一区切り。

 

仕事 責任 をひとつ手放せば、新たな事がひとつ出来る。

 

一番面倒だった長男の子育ても間もなく終わる。

大仕事がふたつ 終わろうとしている。

 

あー 寂しい

目指していたものは何だろう

「より良い企業へ就職する」事を夢見て幼年期を過ごす者は 恐らく いない。

成長過程で、「将来」について、学校から親から友達から言われるほとんどの言葉は

「どこへ就職する?」

といったもの。

自分が持っている能力や夢を鑑み、就職先を考え出す頃、「夢」が消滅し、「就職先を決める」行為へと変わる。

やがて職に就くと、どこへ就職したか 給料はいくらか そんな事で優劣が決められる。

実に くだらない背比べ。

目指していたところはそこだろうか もちろん 違うだろう。

向いている方向の違いに気付いたら、即 行動に移すべき。

今すぐに出来る事 ひとつくらいある はず。

捨てるから得られる 別れるから出会える

.aspxを捨てて、asp.net MVCへ完全移行する事にしました。

枯れた技術は安定しているので、リスクを伴なうアップデートとも無縁。

「安定稼働させる」事が目的ならば、最新のものより枯れたものを使うべきであり、10年以上そうして参りました。

結果、安定稼働させているシステムやwebが安定的な収益を産み、新技術の導入やアップデートに関わる時間的コストも極めて低い状況となり、合理性・収益性の高い業務運営が出来ました。

そのようにして得た収益・浮いた時間を、本業に付随するデザイン系の業務へ投資したところ、これらの業務もまた収益を得、本業のIT系とは異なる人間関係やキャリアを育む事が出来ました。

しかし

本業とは異なる業務を長期間続けてよく解ったのは、自分の本分は プログラマー である事。

仕事をする 責任を果たす に当たり、愚直に取り組んだり人を使ったりするのではなく、システムやアルゴリズム・機械を操り、自らは最短の手数で仕事を終える事を目指す

そういうスタイル・やり方を楽しい・面白いと感じ、それこそが時間を忘れて没頭できる事、生涯やり続けられる事

勤めていた会社を辞め

会社でやりたかったけどやれなかった事をやるのだ

と思っていた頃の気持ちが蘇りました。

 

それは「慣れた.aspxを捨てる」と決めたから、得られた思いであります。

安定軌道に乗せる

家庭・仕事

固定的な収入を得、安定軌道に乗せることを目指す。

安定軌道にはなかなか乗るものではなく、必死に働き工夫をこらす。

何らかのきっかけで足元を見たり、今現在を振り返ったりした時、

「安定軌道に乗っている」

と気付く事がある。

必要以上に頑張らなくて良い

ここを目指していたのだな

といった思いに浸り、安寧な時を過ごすのは少しだけにした方が良い。

高くなくてもいいから、次に登る山を決めて支度をはじめた方が良い。

この世に生まれてきて、今、生きているのは「安定軌道に乗せる」ためではなく「山に登る」事が目的なのだから。

時間は限られている。

今すぐ はじめよう。

楽は人を作らないが

辛い練習に耐える

困苦を受け入れ乗り越える

「成長」と思える経験はそんな時にあったはず。

プラス思考だとかポジティブだとか そうじゃなくて、誰でもある経験則の話。

楽しい事は良いこと。
行きたい場所へ行き

食べたいものを食べ

会いたい人と会い

欲しいものを得

願いが叶う。

願望が成就するとは聞こえが良いが

欲を満たしたところで人間の成長など無い。

楽に浸る人間こそが不幸であり、「かわいそう」と思うべき対象である。

でも

困苦を嘆き、楽を妬む人間はもっと不幸である。

彼らは彼らと同じような 不幸な人間と出会う事を求め

傷を舐め合うか

自分の方が少しマシ

と思いたいだけであり

他人の幸福に腹を立てるか

引け目を感じる心のクセによって

楽しい事・良いことには決して共感してくれない。

彼らは「毒」である。

彼らを「かわいそう」と思ってはいけない。

目を覚ますまで関わるべきでは無い。