隅々まで破綻なくよく写り、15cmまで寄れるものすごく良いレンズ。
XF18mmf1.4R WRと比べると、ピンのシャープさで譲るが、寄れる点はこちらの勝ち。
あと少し小さければ、スナップ用とし持ち出し機会が多かった かも。
ちょっと大き目なのです。
ITとか写真とかカメラとか
隅々まで破綻なくよく写り、15cmまで寄れるものすごく良いレンズ。
XF18mmf1.4R WRと比べると、ピンのシャープさで譲るが、寄れる点はこちらの勝ち。
あと少し小さければ、スナップ用とし持ち出し機会が多かった かも。
ちょっと大き目なのです。
X-PRO3、ネットでの評価がやたら高い。X-PROシリーズはいつもそう。
よく写るとか撮りやすいとか書かれているが、良いのはそこではない。
写真を撮るのが面倒くさいカメラ です。
面倒くさい というのは、昨今のカメラのように「シャッターを押せばきれいに撮れる」のとは対極で、
ファインダーを覗いて
ピントを合わせて
構図を決めて
露出を決めて
シャッターを切っても、良く撮れたかどうかわからない。
ようにも撮影できる。
シャッターを押せばきれいに撮れる 的な使い方もできる が、いちいち液晶画面を開いてから と、やはり面倒くさい。
撮影とは、そもそも面倒くさいもの。
メカを操作して、使いこなした結果、良く撮れるようになる
という喜びがX-PROシリーズにはあります。
なので、MFレンズとの相性は抜群。
しかもOVFでピントを合わせるのが面倒くさくて、1枚撮るために必死こくのが楽しい。
どうせ「変態カメラ」なんだから、AF搭載してくれなくも良い。
手ブレ補正も付いて欲しいけど、付けて欲しくない矛盾。
そんな 道具なのに人間らしいと言うか、愛すべきカメラであり、撮影行為の楽しさがわかる人にはすこぶる評価が高いのだと思うのです。
XF35mmf1.4に似た柔らかさ・感じの良さ。
曲線的な写真然とした写真が撮れます。
あと少し寄れて、あと少し小さければXF35mmくらい人気が出たと思われ。
新バージョンはカリカリ画質でちょい大きく重くなってしまいます。
画質はこれでいいのでクラッチ機構無しでちょい寄れるバージョンなど作って欲しいものです。
23mmはX100の焦点距離であるように、よく使う汎用的な画角なのでいろいろな種類があっても良いですね。
カリッカリに解像して、寄れるからボケも作りやすい。
XF16mmも似たキャラだが、カリカリ度が1枚上。
XF35mmのような曖昧さが無い。
「MORE SHARPNESS」というコンセプトの元、33mm / 23mm も同じようなタイプの写りとなるとの事。
ソリッドで真面目な彼らに対し、Voightlanderの35mmf1.2 MF など、小型軽量で不真面目なレンズも出続いている。
単なる物欲だが 次はあれが欲しい という思いは生きるエネルギーになる。
「最後の一社になっても、写真事業を継続し、写真文化を守り続ける」
FUJIFILM様のありがたいお言葉。
最低限、私が爺様になるまで新しいもの・楽しいものを提供し続けていただきたいものです。
仕事だから 責任があるから という理由で真面目に取り組むのは大変よろしいのだが
好きなことだから没頭し やり続け 結果として少しずつ良いものとなり、やがて先生になったり仕事となったりするもの。
写真を撮る事が正しくて カメラやレンズを収集したりいじくるのは間違い
っていう考えは間違っている。
今の世の中、良い写真を撮る人が増えた。
スマホをあちこちにかざして気ままに楽しそうに撮っている人たち。
彼らは撮影機材など気にしておらず、撮ることを楽しんでいて、友達や仲間と見せあったりしてより楽しんでる。
一昔前は、写真家 と言われる人たちがそうであった。自分の仲間もそうだった。
今は違う。写真は高尚で芸術的なそれから随分裾野が広がった。
いずれにしても 楽しんでいる人が一番幸せであり、勝ち である。
写真について 撮影について 頭を抱えて難しく考え悩む事が楽しいのであればそれでも良い。
機材を収集して試し撮りをするのが幸せなのであればそれも良し。
「好きなものを好きな道具で撮る」
それが出来ていれば間違いない。
自分と異なるから あいつは違う なんて言う奴の負け。
かつての自分自身。
久しぶりに書く。
写真教室は無くなり、写真の仕事もほぼ無くなった。
時々、仕事撮影は入るが微々たるもの。
予定している撮影についても機材は十二分に足りている。
しかしGFX50sIIを予約した。
最重視すべきダンス撮影には使えない。
かつて Canon7Dを使っていた頃、フルサイズ画質というものに興味が湧き、5Dmk2を仕入れた。
APS-Cでは無理である解像感・階調は素晴らしいの一言。
やがて発売された5Dmk3に置き換え。これ一台で全て済む素晴らしいカメラだった。
その後、ミラーレスが主流となり、FUJIFILMのそれを使用したところ、APS-Cでありながら、5Dmk3に勝るとも劣らない写真が撮れる事が解った事、フルサイズ機の大きさ・重さにより仕事以外での持ち出し頻度が減った事、5Dmk4が異様に高かった事から、Canon機材を全て処分し、FUJIFILMに入れ替えた。
写真の画質はセンサーサイズに比例する。
35mmセンサーの画質は知っているが、中判カメラの画質はわからないので、GFXに興味はあったものの、レンズ込みで100万円を超える初期投資はする気になれなかった。
登場したGFX50sIIはレンズキットで50万円切り。即予約。
中判にしては小さいとはいえ、フルサイズ機より大きく重い。5Dの時と同様に持ち出し頻度が低いかも知れない。そもそも撮影の仕事が少ないので使い倒せるとは思えない。
しかし、写真は結果が全て。
じっくり撮影する事に関し、現在 最高の結果を出せるのは間違いなく中判のそれ。
客先から求められるものではない。求めているのは自分自身。
ワクワクするとはこういう事。久しぶり。
日々カメラを携行していても、写真に収めたいものが無ければシャッターすら切らず写真を撮らない。
写真に収めたいものがあっても、それが目の前に無ければやはり写真を撮ることはできない。
撮りたいものがあり、それを撮れるカメラがあれば写真を撮ることができるが、
撮りたいものがあり、それを撮れるカメラがあっても写真を撮ることができない事、多くある。
今の自分に欠けているものは どうしても撮りたい という気持ち。
・仕事で必要だから撮る
・写真展に出展しなければならないから撮る
義務的な意識・責任感だけではダメで、欲求として欲望として「撮りたい」気持ちが湧いてくるようでなければよろしくない。
ところで 何を撮りたいのかしら。
ほったらかしのブログ、何気にアクセスしてみたところン1000件以上のスパムコメントが承認待ち。面倒なのでコメントされていた記事を削除。
動いているもの・生きているものは手入れが必要で、放って置くと使い物にならなくなる訳です。
ブログ 閉じちゃおうかなー
X-PRO2を使う度に感じるのは「X-T2の方が使いやすい」という事。
バリアングル液晶は地面スレスレのアングル・レベルを要求される際に有用であり、
光溢れる自然風景を適正な露出でキメる際にも、大きくて視認性の高いEVFは有用である。
しかし
実際持ち出すのはほぼX-PRO2。
それは、T2より劣る操作性を、カメラを操作し 工夫して撮影する事が楽しいから。
X-PRO2というカメラには、業務用途では許されない要素が色濃く「搭載」されている。
利便性を優先すれば、より現代的な改良を施すべきだが、昔ながらのそれを残している。
「不便」すら「仕様」であり、そこが「実用性」を超える「機能」なのである。
だから 明日も持って出歩く訳なのです。
「忘れていた撮影の喜びを思い出した」
的なレビューが多い事が頷ける。
いい赤だなー
っていう「色の感じ」をスパッと撮れると気分が良い。
ただし、そこもフィルム(シミュレーション)選びで結果が全然変わってくるのでやはり習熟が必要なのです。
FUJIFILMと付き合って間もなく3年。
ようやく思い通りに扱えるようになってきた来た気がしております。
でも、昨日の撮影、その前のダンス撮影用のセッティングを戻すのを忘れて使ってしまい、必要以上の高感度で撮っていたという。。。