働く事の意味をもう一度

震災後、「夜に仕事をする」事をやめていました。

なるべく朝早く起きて、散歩できる日は散歩に行き、写真撮ったりして、朝ごはんを食べて仕事をする。

夕食を食べた後は、仕事をしない。仕事をする場合でも21時には終える。

それで効率が下がったか、生産性が落ちたか と言えば全くそんな事はありませんでした。

以前まで、「日夜問わず働き勉強し続ける事が美徳であり、休む事や愉しむ事はお金をいただいている相手に対して申し訳ない」と、そんな風に思っていたのです。

でも、やめました。

そういう生真面目な生活を自分に対して望む人は、自分を切り捨てるかも知れませんが、それでもいいや と。

何でも無理に今日中にやらず、明日でもいい事は明日ちゃんとやる と。遅れたら謝る と。

休まずに働くのはそもそも何のためか と。
そう。生活のため、お金のため です。

しかし、震災の日、思ったのは、
「今ほどお金をもらわなくても食べていける」
「自分も子供も奥様も豊かな生活を望んではいない」
そんな事。

一生懸命働く とは、寝る間を惜しんで、命を削って仕事をする のとは違います。「一生懸命」という偽善を演じ、お金をいただく相手に媚び諂う行為こそ強欲で浅ましく薄汚いものだ と。

朝と夜は家族みんなでご飯を食べる。夕食の後は家族の時間。夜になったら早く寝て、朝早く起きる。

それって、人間として極当たり前の事で、自然な事。
そうではない不自然な生活を自らに強いる必要などありません。

食えなくなったらどうする? 作ればいいだろうし貰えばいい と。
自分で作れないのであれば、「貰うために何かをすればいい」と。
本来、「働く」とはそういう事だったはず。
「お金をもらう為に働く」事はその延長ではありますが、本分ではありません。 

仕事が余裕なんだろうとか、貰いがいいからそうなんだろう などと妬む人も出てくるでしょう。が、妬む人が悪いと思いますし、そういう人とは付き合いたくないのでちょうどいいや と。

もうちょっと、

もうだいぶ、

「現代人」として ではなく、「まともな人間」として、楽で幸せで良い生き方、要するに人間らしい生き方をしよう と。そう決めた。

 

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