死んだら終わりか

「人生は一度きり」「死んだら終わり」

本当にそうなのだろうか と、幼い頃から思っていました。

生まれる前はどうだったのだろう。

全く自分は存在していなかったのだろうか?

何十年か前に生を受けた今現在の人生。

「自分」が存在し、体験し、感じる事が出来るこの世界・宇宙は、今生きているこの時間・人生が全て

そう考える方が不自然であり、正しくないと思うのです。

「タンパク質やら水やらの塊として、この世に約100年近い時間存在できる。

臓器と呼ばれる箇所が機能を失えば、その存在は無かった事となる。

存在価値を失ったタンパク質と水の塊は、ごみと同じように土へ還る」

もし人生というものがそのような姿であれば、世界はどれだけ虚しいものか。

人生とは 風が吹く 水がこぼれる ような自然現象と同じ程度のものなのか。

否。

人は 世界の成り立ちや過去の姿、宇宙のあり方、家族の歴史に惹かれるもの。

それは、遥か昔から 自分 が存在している事の証拠だと思うのです。

過去の出来事に興味を引かれ、懐かしんだり感情が動かされたりするのは何故か。

亡き人を家族のように愛し、家族として接し、大切にするのは何故か。

この世での人生を終えたから 死んだから全て終わり ではありません。

魂を磨く事 魂の修練 は永遠に続いていて、これからも続くもの。

それは 光志が私どもに一番伝えたかった事 だと思うのです。

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