今日は「不等辺三角形」。
出来上がりの立体イメージを捉えるのが難しかったですが、何とかかんとか。
サイネリアがイイなー と、二色使っちゃいました。

ITとか写真とかカメラとか
ふと ここ5年ほどを振り返っていました。
今と全然違うのは関わっている人の数と多様性。当時はそれこそ「仕事以外何も無い」状態でした。
「ひとつの事をやり続ける」のは良い事だと信じて永らくSEという仕事を続けてきた訳ですが、「仕事だけしかしていないと、関わる人・関わる世界は狭い」事に何となく気付いていた頃。
心の深い部分でそういう気付きがあると、自然と行動に出るもの。仕事ではない世界や人と関わり、「初めての体験」がたくさんありました。
利害関係の無い人間関係の素晴らしさを楽しむ反面、仕事の人付き合いを良い事だと思えなくなった事もありましたが、今思えば「仕事だからと線を引き、良好ではない関係を作っていた」のは己の未熟さ故。
嫌だなー と思う相手ってそういうタイプ。自分もそういう接し方をしていれば 嫌だなー と思われて当然です。
そんな5年間を経、IT的な仕事中心に回帰していました。キッカケはスマートフォンとtwitter。
ITというムーブメントの新しい転換期。「パソコン」「携帯」という枠を超えた情報技術のあり方、真の21世紀のハードウェア・ソフトウェアといった辺りは、某M社の絶対的影響力が及ばなくなった、自由で輝かしい「未来の情報化社会」の姿が見え隠れしています。
さて 何を作ろうか 何をしようか と思った時の引き出しや関わる事の出来る世界、現実的に可能な事が5年前と今とでは全く違う と。
材料は揃った って事。
何を調理するのかが試される2011
もし失敗したらこうしよう、そうでなかったらこうして、こう来たらこう行こう。そこでこうだったら・・・
と考えるほど、失敗した時のイメージが膨らみ、一歩が踏み出せなくなります。
経験上、そういう類の物事は、「どうにでもなれっ!」と目を閉じたままでも正面突破を試みた方がいい 場合がほとんどだった気がします。
本当の失敗は「油断している時」に訪れるもの。
動けないほどの「恐怖の失敗イメージ」を抱いている時は、油断できる程の余裕はありません。だから、想像するイメージほど悪くなる事など無く。
思い切ってやってみると、意外なほどあっさり済むもの。
「出来る出来ない」は、やらない理由。
何もしないために生を受けているのではなく、生を受けているのは何かをするため。
生きる は やる と同じ。
なるほどAndroidのそれとは作りの方向性が異なるようです。
操作感、いわゆる「ヌルヌル感」はAndroidよりずっと上。HPや写真をプレゼンするような用途には最高かも知れません。特にピンチズームとスクロールの滑らかさが素晴らしい! 今日、Xperiaでピンチズームが出来るようになるアップデートが提供される予定で、楽しみにしていましたが、コレを知ってしまえば、「んー ヌルヌルしないー」と不満に思ってしまう かも。
が、「この作業はこのアプリを使ってこういう風にやる」って事が決まっている感が強く、悪く言えば自由度が低い、良く言えばわかりやすいな と。
自分が使うのであればAndroidがイイ、と思いましたが、人に進めるのであればコッチだな と。まだ触ったばかりでよく解ってませんがそんなトコで。
何かに打ち込んだり、何かを一生懸命やっている人、周りにも良い影響を与えます。
当然、「がんばれっ」って応援したくなったり、近づきたくなったり。
ただ、その打ち込んでる事がやたら難しそうだったり、自分では出来ないなー って事だったら、応援は出来るけど一緒にやりたいとか手伝いたい ってはなかなか思えません。
実際、難しい事・高度な事を成し遂げるには、難しいことを細かく分けたり順序立てたりすることで、ひとつひとつを「わりと簡単な単位」とし、コツコツこなしていく訳なので、そっちの「わりと簡単な単位」の方を前に出すと、人から「自分にも出来るかも」と思われたり、「けっこう簡単だな」って思われる 事もあるでしょう。
自分にしか解らない事って誰とも分かち合えないもの。
でもそんな噛み砕き方をする事で、誰かと分かち合う事が出来るようになる かも。
言われてやる のと 自らやる のはかなり違う。
やらない人に、何かを言ったり諭そうとしたところで「自らやる」ようにはならない。
人をコントロールする事はできない。
人に指図し、従わせる事ができたとしても、それはコントロールしたのではなく、指図された後でやるかやらないかを決めて行動した「本人の意志」に他ならない。
言われて行動した当事者はそこで気付かなければならない。気付いた方がいい。
人に言われる前に自ら考えてやった方がいい と。
ただし、「評価を得る事を目的にやった」のではないとしても、やった事を誰とも分かち合えなければ虚しいもの。
例え虚しくても、やるべき事をやるのがプロフェッショナル ではあるが、誰しもプロフェッショナルではない。
労をねぎらい合える仲間・相手は大切な存在。
もちろん、そういう「場」も大切。
感情のある人間 だもの。

書いてみるテスト。
今日は初活け。