同じ話

昨日も今日も同じ話をしたのです。

しっかり稼ぐ とは しっかり仕事をする という事。
しっかり仕事をする とは しっかり稼ぐ という事。

今日、お客さんのところへ出向く前、ふと10年くらい前に作った資料が目に付きまして。

仕事のやり方、昔はこうだったんだなー って自ら感心するほど、非常に細かく丁寧な計画が書かれていました。

会社勤めだった頃は組織で仕事をしていたので、そういった計画を立て管理資料を作るのが日常でした。

一人になってからもしばらくはそうやって仕事をしていたのですが、関わる人が少なかった当時の自分には無駄でもあった訳で、「こういうものを作るのに時間をかけるくらいだったら」と、次第に計画や管理にかける手間と時間が少なくなり現在に至る、と。

気付けば関わる人が増え、やらねばならない事が増えたのに、計画・管理が弱ければ行き当たりばったりな対応となり、やがて仕事も行き当たりばったりで粗末なものになっていくのでしょう。

しっかり丁寧に仕事をしていたつもりでも、計画・管理の不行届きによる遅れが多発している今日この頃。それこそが現実であり、計画・管理を怠った結果であります。

尚更、外に見えない部分だから指摘される事も無く気付かなかったトコロ。

未来を見据える前に、しっかり見つめるべきものは足元。

ぐらつく土台の上に城を築いても ね。

写真業務のワークフロー

写真に関する業務が予想以上に増えた割には、写真業務に関するワークフローの整理や改善には手を付けていませんでした。

やり方が悪いと効率が悪いのは当然の話。
あっという間に捌ききれていない仕事 具体的には撮ったけど選別されていない写真、現像・調整がまだの写真、プリントされていない写真、見積りすら提示できていない写真など、うず高く積まれてしまいまして。

撮影はじめ現像・プリントなど、ひとつずつ丁寧に行うべきことではありますし、写真の質を向上させるための新たな取り組みにも手を付け始めたところではありますが、作業効率を改善しなければもう回していけないな と。

システムに纏わるものであれば、作業効率改善のためのプログラムを作って対応してきました。効率重視の業務は人を使うのではなく機械にやらせる というものはそもそもコンピュータシステムが最も得意とするものでもあり、当方が商品として提供しているものでもあります。

自分にとって、写真業務で最も改善が難しいと感じるのはその辺りでして、つまりコードを書く事では効率化できない業務なのであります。

そこで、原則に立ち返り、写真に関する業務分析から。
詳細なワークフローを洗い出してコツコツ改善。

まあ

今のところ、Adobe Lightroomをもっと使いこなせば効率化出来るし、つまりソフトを使い切れていないから効率が悪かったという ただそれだけの話なのですが。。。

「なりたい自分」

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ご近所。

自分とは縁が無い世界だけど

自分と同じ「はたらくおじさん」が乗って働いてるんだなー

って。

人間、各々に役割があって

あくせくと働いている。

各々がやっている仕事は

各々が好きで選んだ仕事。

「これしか無かった」

なんて誰への言い訳なのか。

最終的に「選んだ」のは自分でしょ。

「なりたい自分になれるように」

なんて 夢や絵空事じゃなくって

今、ここにいる自分こそが

「なりたかった自分」

なのです。

いろんな事 良い事 悪い事 楽な事 辛かった事

積み重ねた結果なのです。

今の自分は、なりたかった自分。

他を羨むのではなく

現実の自分自身を受け入れる事が出来ますように。

文化祭

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3年間、文化祭の撮影を担当させていただきました。

今日朝からずっと撮ってヘトヘトになったけど明日撮ればおしまい。
あと2年、娘が中学生になるまでは撮らなくても良いのです。

ほっとする反面、ちょっと寂しい よね。こういうの。

写真は帰り道。クルマ停められないから行き帰り徒歩なのです。
そこも疲れる由縁だけど、既に 思い出 です。

長いつぶやき

SNSに対してブログはそういうものかもね。

言葉を短く簡潔にまとめたり、思いを話し言葉風に簡単に書いたり、それはそれで良いの。

でもね、時々、自分とじっくり向き合う時間って必要なのね。

他の人は知らないけど自分はね。

ずー っと長いこと忙しくて、なかなか切れ間も無くて、心が休まらなくて。

ひとときだけ休める事あっても、それだと回復しない訳。

しない と言うか してない のね。

これは宜しくない と思うのです。

そういう「疲れ」、溜め込み過ぎて壊れた時のダメージ、どれほどのものか そりゃヤバいだろうけど、心が壊れた事は無いからまだ大丈夫なのかなー とか、良くわからなかったんだけど。

ちょうど今日、それがどれほどヤバい事なのか、どういうダメージが来るものなのか、良くわかった訳。

「知らされた」訳。

しかもキッカケはこのブログ。

何で 誰に 知らされたのか って話。

いや 自分の場合は違うよきっと とも思えるけど、このタイミングで「知らされた」ってのは、けっこうヤバいぞマジで 気をつけろ休め本当に って事ですねはいよくわかりました。

日中はちゃんと泳いで、夜は酒飲んでよく寝てください 今日も明日もあさっても なるべく早めに。

詳しい事はその後。休むのが先。はいそうします

ブログ復旧

wordpressを3.6.1へバージョンアップしたところ、ブログが全く機能しなくなりまして。

上書きでwordpress(3.5.1)をインストールし直したところ、復旧しました ほっ

画像アップのテスト

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言葉

言葉で 真 を綴れるものだろうか

心の闇の部分は誰にでもある

罵詈雑言 愚痴 恨み節

それら 人前に晒すものではない

故に

闇の部分は押し込めたまま

言葉は発せられ綴られる

それは偽善とは異なるが 真 とも異なる

彼の言葉 よりも 彼の行い

彼がしてくれた事

彼が作ったもの

真 はそういった辺りに 感じる ものなのだろう

毎日食事を作り 家族の世話をする母親

まじめに働き 衣食住をまかまうだけ稼いでくる父親

人間 それで十分

 

栄養の偏り

肉ばかり 脂ばかり摂り、栄養が偏ると身体に変調を来す。

働いてばかり 遊んでばかりで休まない。活動と休眠のバランスが偏っても変調を来す。

ものの考え方にも言える事。

テレビで言っている事は嘘だ 嘘だからネットだけを信じる

ネットも怪しいから見ないし信じない 書籍だけを信じる

書籍も嘘だらけだから 友達だけを信じる

異を排斥し、嘘だダメだ と、偏った知識・情報ばかり得ていると、考え方やこころに変調を来すだろう。

ものの考え方が偏り過ぎると、左翼思想 右翼思想 原理主義 といった辺りに行き着く。

それらが悪いとは言わないが、少なくとも 豊かで温かくて平安なこころ とは異なる。

何でも入れれば良いものではないが、偏り過ぎるのはもっと良くないですね。

因果応報

水泳。

タイムや成績、即ち「結果」を決めるものは「練習」である。

よい練習をすれば良い結果が得られ、手を抜いたり下手な練習をしても良い結果は得られない。当然の話である。

練習量が多ければ良い という事ではなく、質の良い練習、目的を持った練習をすべきである。

「生き方」についても同じ事が言える。

良い生き方をしていれば良い人生となり、手を抜いたり下手な生き方をしていれば悪い人生となる。これも当然の話。

今の自分は良い人生を送ってるのかどうか。

もし、悪い人生を送っているのだとすれば、今までの生き方 考え方 心持ち 生活習慣 付き合う人 が良くなかったという事。

その事を受け入れた時から、好転が始まるものだと思うのです。

何がいけないか どうすれば良いか の前に、「否を認め受け入れる 素直になる」 という事。

他人に否定された事を素直に認め受け入れるのは難しいから、自ら気付かなければならない。

人生も 仕事も 趣味も 人付き合いも みんなそう。

終わりは始まり

それが最新で最良で特別な事であっても、いずれは古くなり廃れ、誰でも出来る事になったり、新たなものに打ち負かされたり。

流行るものは廃る。

役割を終える日が来た時、また新たな「最新で最良で特別な事」に取り掛かれば良い。

「どうせ そんな事の繰り返し」

と捉えるも

「そうやって進化・成長する」

と捉えるも自由である。

経験則として、

「どうせ」

などと嘆く人間、使えない。