扉の向こう
まだ見ぬ世界
鍵を外し 扉を開けると
新たな世界の景色が広がる。
そんな経験 誰しもあるもの。
その時 扉を開けたのは 自分だったはず。
扉は誰も開けてくれない。
自分が見たい世界の
扉を開けることができるのは 自分だけ。
扉の向こうの新たな世界に立ち
そこから眺めた景色に満足する人間が 幸せ者 なのだろう。

ITとか写真とかカメラとか
扉の向こう
まだ見ぬ世界
鍵を外し 扉を開けると
新たな世界の景色が広がる。
そんな経験 誰しもあるもの。
その時 扉を開けたのは 自分だったはず。
扉は誰も開けてくれない。
自分が見たい世界の
扉を開けることができるのは 自分だけ。
扉の向こうの新たな世界に立ち
そこから眺めた景色に満足する人間が 幸せ者 なのだろう。
一人目を授かった時に言われた事
「お子さん、一週間が山ですよ」
今にも息絶えそうな子。1200gの極小未熟児。
おかげ様で今は高校生。元気に育ってくれていて、それだけで有り難いのです。
二人目を授かった時に言われた事
「2回目の帝王切開なので、これ以上お子さんは作らないでください。今すぐ避妊手術しますか?」
元気に生まれてくれたのは幸い。
健やかに真っ直ぐ育っていて、実に有り難く。
でも「これ以上はダメ」と告げられ、子作りは二人目の時点で終了していた訳です。
自分は三人兄弟なので
できれば三人は欲しいな
とは思っていたので、
もう少し余裕が出来たら、養子でもいいからもう一人くらい
なんて思っていました。
が、
この度、3人目を懐妊。
妻も四十路を迎えた事、「これ以上はダメ」と言われた事から、相応のリスクと負担はありますが、産む決意をしていただきまして。
二人の子を育て、それなりに大きくなり、手を離れるのはもう間も無くかな
と思っていた矢先の事。
もう一人の子を授かり、もう一度「父親」を務める機会に恵まれた事、
それを喜んで受け入れてくれる妻。
愛しい とかとは異なる次元の感謝と敬意。畏怖すら感じている訳です。
「有り難い」「ありがとう」
という言葉・思いが薄っぺらいと思うほどに。
これが本業
と思っていても、思った通りの仕事が出来るとは限らない。
仕事は 人の役に立ってなんぼ であり、
人の役に立たない事をやったところで 仕事 は成立しない。
これが本業
と思いを馳せ、自分の理想と人から望まれる事に取り組んだ結果、
当初の理想とは違う場所にいたり、違う方向を向いていたりもする。
ジンセイとは
違う場所にいたり違う方向を向いたりと、
描いた理想 夢 と異なる現実に出くわした時、
目を逸らさず 正面から向き合い 受け入れ
精一杯出来る事をし
それを「良かった」と心から喜べる自分になる事。
「理想と違う」
「それは自分の仕事ではない」
って宣ったら「負け」である。
ただ
のべつ幕無し受け入れれば良い というものでは無い。
そこが難しいところ「分別」というもの。
今日も明日も 岐路 に立たされる。
昨日までの過去も 岐路 に立たされてきた。
進む方向 選ぶもの 今まで分別してきた結果が今日であるから
その 分別 が正しかったのかどうかがわかるはず。
間違いは正せばいい。
間違いを間違いと認めればいい。
それでも
解っていそうで解っていないのが自分自身の事。
だから
自分の事を理解してくれる 伴侶 友 師 を大切に。
理解し 寄り添ってくれたり 激を飛ばしてくれたり
要するに
本気で向き合ってくれる人間は宝である。
人は操れないが 自分の事だけは操る事が出来るのだから、
自らがそういう人間になればいい。
どんな仕事をしようが趣味に興じようが
よりよい自分になる事が 本業 なのです。
10年ほど前、本業だと思ってた IT の事を書き綴ろうと思い始めたブログ。
実際書いてみると こういう事 ばかり。
何で こういう事 ばかり書くのだろう と思った時期もありましたが
そういう事
なのです。
本来、本業である「業務システム開発」が副業的な仕事になっていた今日この頃、その「本業」の仕事が入りまして。
かなりの規模であった為、人を使う事を考えた訳です。
人に説明し、作業させる。
それでも 任せる事が出来るのはほんの一部でしか無く。
もっと人数が必要なのかな とも考えましたが、そう丁度良く人がいるものではありません。
ふと
思い出したのは会社勤めの頃の事。
同じ位の規模の仕事、3人でやったよなー って。
頭数が増えたから捗る仕事ではないんだよなー と。
人を増やす 人に任せる というのは手段に過ぎず。
目的は期限内に仕事を終える事。
開発手法 管理手法はじめ、仕事のやり方で以って効率化・合理化を図るという事。
昔と今では「合理的にコードを書く」為の手段の選択肢・質とも異なるのだから、より良い方法があるはず。
そういうがんばり方 やり方をしよう
と決めたので今日はここまで。
明日起こる事はわからない
それどころか 今日起こる事もわからない
更には この後起こる事すらわからない。
能動的に 自分の身体を動かし 自分の思いを巡らせる事で
少しだけ先の時間について、思い通りの事を成す事は出来るが
その時ですら 天気がどうなるか 誰と出会うか 幸があるか不幸があるか
さっぱりわからない。
未来は 世界は 不確かなもの。
不確かな世界であっても
自分はこうしたい こうありたい こうすべき
といった意志・決意があれば 何が起ころうが起こるまいが それがわかろうがわかるまいが
向くべき方向を誤る事無く、
良い事を糧とし
悪い事はバネとし
「そこ」へ向かい、近づく事ができる。
そもそも
意志・決意が無ければ この世へ生まれ出る事すら無い。
だから 今 生きている者は
自分はこうしたい こうありたい こうすべき
といった意志・決意があったはず。
それを持ち、覚悟を決め、目的を持って生まれ出たはず。
無い と思っている者は 忘れているだけだろう。
この世で起こる事や 他人を 操る事は出来ないが
自分の身体 自分の心は 操る事が出来る。
出来ない
って決めつけて その様に自らを操っているのも自分。
今ここにいるのは 自分の思いに従って 自分を操った結果の自分。
他人の声は 助言 でしかないから
今の自分が嫌なのなら こんな風に変わるのだ
って自分で決意する事がスタート かも ね。
拙い駄文でも一助となれば幸いです
仕事や趣味
他人と関わる事ができる場所で
いきがいを見つけて精一杯がんばる
そういう人はキラキラしている。
楽になりたい
キツいのは嫌だ
キラキラしていた人も頑張り過ぎるとそんな状態にもなり得る。
損得 打算を突き詰めれば
楽して利益を得る方向へ向かうが
それでもキラキラしている人もいる。
彼らは自分だけではなく
他人と関わり 他人へ利益をもたらし
その事に喜びを感じているよう。
そう言えば 会社勤めの頃
そんな風に思っていた時もあったなー
って。
楽になりたい
キツいのは嫌だ
でも その事にいきがいを感じてキラキラしているような
今からだったら そんな人にもなれるのかも ね。
ほとんどのツラくて大変な事と
ほんの少しの楽しくてラクな事
人生の要素
だから
ツラい事と どう向き合うか どう感じるか
が
キモ
ですね
間もなく社内ファイルサーバが停止します。
頻繁に使うもの・仕掛中のデータはDropboxにて運用して参りましたが、googleドライブの価格が下がったため、100Gのプランを導入し、ファイルサーバの内容をそちらへ移行中なのです。
バックアップは専用のサーバにて行なっていますが、容量無制限のBitcasaも平行稼働中。
Bitcasaによるバックアップ・リストアのテストが問題無ければ、バックアップサーバも停止する事になりそうです。
データベースはAzureへ。
webもwebシステムも、フロントエンドをhtml5/javascriptへ移行中であるため、これが済んでしまえばwebAPI以外で利用するwebサーバはIIS/Windowsではなく、unixでも何でも良くなります。
そして社内サーバは無くなり、全てはクラウドへ。
クラウド上のデータ・APIを操ればDBさえも不要になるかも知れません。
「IIS + SQL Server」という、Microsoftだけに依存したアプリケーション・web開発は終わりました。
完全に 終わりました。
それが終わった先 新たなアプリケーションプラットホームが見えていなかったのですが、ようやくはっきりと見えた訳で。
新たなスタートを切れたのは、行く先 未来 が見えるから なのです。
たまにボカロ曲を聞くようになりまして。
商用音楽とは違う、良い曲を作りたい思いが溢れているような面、イイな と思ってまして。
取り上げる題材や乗せるメロディー、無機的な声などは、表題通り「蒼い響き」に感じます。
生まれた意味 生きている意味 何もわからず、明るい未来を受け入れられず、不安で寂しいような思春期の「蒼い」波長と共鳴しているような。
今はその 蒼い響き が懐かしくて美しいものに思えるのです。
不惑 四十路 そりゃそうだ って話なのですが。
「完成されていなくて 安定していなくて でもエネルギーは余っていて」
未熟で若くてダメなもの と決めつけていた感覚、「美しくて何かイイ」ものとして写真なり花なりに使ってみようかしら。
事業をひとりでやる
と言おうが思おうが、最低限自分以外の客が1人以上いなければやれません。
何をするのにも協力者は必要で、今まで成し遂げた事も全て誰かの協力を得ていた という事。
「ひとりでやりました」
という思いがあるとしたらそれは傲慢というもの。
そんな思いを持ち続けていると、協力者が離れて当然なのです。
だから、関わった人に
「ありがとう」
という思いを持つことが出来ていれば、つまり
上手くいっている大丈夫
って事ですね。
今
そんな風に
思えてますか?