退院祝いに

親父、去年、胃癌を患った。
運良く早期発見出来たため、内視鏡手術で患部を剥離させるだけで済み、手術も無事成功、経過も良好だった。

良くなったら、はた善 に行こう!

って約束してたけど、当然しばらく酒は控えなければならなかったり、そもそも糖尿も患っている事から、タイミングを掴めずにいた。

けど、つい先日、一緒にはた善さんへ行く事が出来た。
親父には初めての店。大変喜んでくれた。

遅くなったけど1年越しの退院祝い。楽しく飲み食いが出来て良かった。

親父、67歳。
医者からは、あと3年生きる事が出来る と言われてる。

あと何回一緒に行けるかな。

でも、この位の歳まで生きていてくれたから、あと3年ならそれでいいと思う。

荒んでいた若い頃の暮らしぶりとは全然違い、今は安定した生活が送れて、それなりに家族と仲良く過ごすことが出来ていると思う。

きっと今は幸せだろう。

人生の終わり際、こういう形の幸せの中にいられる事は素晴らしい事だと思う。

逝くなら、こういう幸せの中で逝ってほしいと思うし、自分もそうでありたい。

人生の全てではなくて、一部の事だけど、死に様は生き様そのものでもある。
まだ死んだ訳でないけど、初めて、「親父のようになりたいな」 って思えた。

ネットと友達と処方箋

基本、会った事が無い人は「友達」ではありません。

ネットでメールやチャット、ブログコメントによる「会話」があったから、彼は彼女は友達なんだ と思うのは自由ですが間違いです。

テキストの中に自分を隠す事が出来るネットの世界。隠したくなくても感情的なやり取りがタブーとされるネットの世界。そんな世界のやり取りだけで、理解し合う事などできる訳も無く。

もちろん例外もありますし、ネットでのやり取りがきっかけになって実際の「友達」になる事もあるでしょう。

が、ほとんど上手く築ける事の無いネットだけの「人間関係」らしきものに深く依存してしまうのは、人として正常な行為ではありません。

その辺、「そりゃそうだ」と思えれば正常でしょうが、「なんでさ」と思うようであればどこかしら問題があるでしょう。

関わるべき身の回りの人や本当の友達を差し置いて、パソコンやケータイの向こう側のbotだか何だか解らない存在を「友達」と認識する事ってどれだけ狂ってて寂しい事か。

マイミクは、mixiシステムで「マイミク」として登録されたアカウントであって友達では無く、フォローし合った関係もTwitterシステム上で「相互フォロー」状態となったアカウントであり、やっぱり友達ではありません。

mixiやTwitterといったソーシャルの世界では、そういった「アカウント」が多数存在し、(会った事もない存在から)時に「ぼくら友達だよねー」といった気色悪い思いを投げかけられたり、そういう想いを感じたりする事が多々ありますが、彼らは「友達」ではなく、そもそも「人」かどうかも解らない、単なる「アカウント」なんだ と思っておいた方が良いと思います。

そして、そういう「問題のあるアカウント」への処方箋は「関わらない」事。肯定も否定もしない事。自分本位な「彼ら」は、「誰でもいいから構って欲しい」だけです。「求めるべきものはここじゃなくて現実世界にあるんだよ」と伝えるためにも、構わない事が一番です。

以上、これからTwitterとかを利用される方へ

今日のお花

ウエディングテーブルフラワー。

秋っぽい設えで。

この足つき器、落としの背が高く曲者。

リアルにウエディングに使ったら腰が高くて不安定だなー と思いつつまあいいか ということで。

「スマートフォンを使っている人は不憫」

昨日、標記のような記事を読みました。

「使えもしないものを使っててもダメだよね カワイソ」的な内容でしたが、こういう場合、ほとんど自分の事を言ってしまうものです。

ライターご自身が使い切れていないから、使い切っている人にやきもちを妬いている という事でしょう。そうでなければ実が伴わない受け売りの話でしょうし、受け売りでも無ければ空想の話でしょう。

こういう類の記事や情報は増えている気がしますし、これからも増えていくと思います。

何故ならば、彼を含めた、スマートフォンやTwitterといった最新ITを煽動している人々は、ITに精通している人々でないから です。上等な「利用者」ではありますが。

本当のプロフェッショナルであれば、より良い使い方を考えたり、教えたりサポートしたり出来るものですが、彼は「本当のプロフェッショナル」や「世論」の言うがままの事をして精一杯 というレベルなのでしょう。

精一杯やっていて最先端な気がしているので、偉そうな事を言いたくなるのでしょうが、「基礎の低い1ユーザー」がそんな事を言っちゃうと、「己の底を晒す事になる」という訳です。

で、Twitterって何でしょうか?

Twitter、必死こいて使っています。

よく「Twitterって何だかわからない」と言われますし、最初、自分もそう思っていました。

で、永らく使ってみるといろいろわかってきます。

Twitterは、「使う人次第で何にでもなる」ものです。

「情報を発信する」という側面。

いわゆる「つぶやく」行為でブログより簡単に情報を発信する事が出来ます。写真を公開する事なども容易に行う事ができます。

「情報を集める・調べる」という側面。

例えば私、カメラ・写真に興味がありますので、そういう方々を「フォロー」する事で、カメラ・写真に関する様々な情報が入ってきます。ニュースサイトや情報サイトを見るより、Twitterを見た方がより効率的です。

「連絡する・コミュニケーションする」という側面。

特定個人に対してメールより簡単に連絡する事ができます。メールで「会話」的なやり取りは面倒なものですが、Twitterだと簡単です。特徴的なことは、メールや電話などでは、「知っている人」にしか連絡を取らないものですが、全く知らない人にでも話しかけたり連絡を取ったりする事ができ、そうする事が当然 のような雰囲気があります。

「Twitterってよくわからない」と感じる方は、情報を発信する側面、即ち「つぶやく」という側面だけしか知らない、 という事が「わかりにくい」一番の原因と考えられます。自分はそうでした。

情報のリアルタイム性・能動的なコミュニケーション といったTwitterならではの特徴もありますが長くなるのでこの辺で。

全く無意味なドラムの写真

前回のお花

前回、もう先々週になりましたが生けたお花。ダンディなイメージ。

重厚なインテリアの横、黒の設え・金属の花器で足元を締めて、赤黒のダリア・薔薇・カラー、モンステラを一葉と秋色のロホミルタス。アクセントに槍鶏頭。

奥行き感を出す為に花器は二つ。奥側の花器には目立つ薔薇、フリーダムとビバーナムティナス。

raw現像も渋い感じに。

でもイメージ通り写真に収める事が出来なくって残念・・・

計画

「より速く」仕事を行わなければならない世の中になってきた と感じます。

だから、なるべく速く物事を習得し、今日来た注文に今日応える そんな仕事をする人が生き残るのでしょう。

時代の流れに対応する為に、そういうスタイルを身につける事は大事な事ですが、それは全てでなく普遍的な「良い在り方」でもありません。

レスポンス良く仕事をする という事に染まってしまうと、計画的に仕事をする事が困難になってしまいます。

「とりあえずやってみる」

事は良い事ですが、全てそれでOK ではありません。

じっくり時間をかけて、今と向き合い、自分と向き合い、長い目で「今すべき事」を見出し、計画に落とし込む。

それは、長い間やっていなかった事。

短期的な「今、すべき事」はたくさんあります。管理も出来ています。が、中長期のすべき事、即ち「夢目標」は漠然としたままで、具体的ではありません。

ゴールが漠然としたままだと、迷子になってしまう と思いました。

今一度、基本に立ち返って、人生の計画を立てなければ と思いました。

いや そんな 難しくなく ね。
習慣化出来なければ意味が無いから ね。

一からやり直し

水泳。

1年ほど前に体調を崩した辺りから、体力がガクッと落ち、泳ぎがおかしくなっていました。

教室でも、体力の向上を目的とする練習が多く、泳ぎが壊れたまま。

泳ぐことが楽しくなくなり、どうすればいいのかさっぱり解らなくなっていました。

が、今回の教室からコーチが変わり、極めて基本的なキックなどが中心のメニューに。

という事で、一からやり直してます。

基本は大事。基本が崩れると全部崩れちゃう。

今日のお花 – 和

今日は晴天。高い秋の空に向かうようにのびのびと。

雪柳・鈴バラをたおやかに使い、アクセントにスプレー菊。白をちょっと添えて爽やかさをプラス。

けっこう前、先生が啓翁桜を生けられた器、景色がちょっと空色なのでチョイス。

花生けの時間もまた、自分と向き合う時間。

また、空間構成・配色・季節感といった花生けで学べる要素は、写真と共通する事でもあり、何と言うか 自分にとって栄養のようなもの。

一度やる と決めた事を長く続ける事、大事です。