家族が家族に望むこと

この世に生があっても、無くなっても、家族が家族に望む事は「幸せな姿」であり、決して「悲しい姿」では無いはず。

あの世から たぶん近くからこちらを見ている光志も当然、私はじめ奥様、子供たちの笑顔を望んでいる訳で、泣き顔を見たい訳では無いでしょう。

時折、悲しい気持ちややり切れない気持ちに満たされて苦しくなりますが

少しずつ乗り越えて、明るい家庭を取り戻さなければ。

私どもが悲しんでいれば 光志も浮かばれない訳です。

嘘でもいいから 作り笑顔でもいいから なるべく楽しい気持ちで家族と 光志と 接して行こう

と思いました。

思い出 写真 財産

光志との全ては思い出となりました。

人生とは思い出作り。

楽しい事、悲しい事など、心が揺さぶられる経験を思い出として心に刻む という事。

この世で成すべき事は 思い出 という財産を築く事です。

そんな事はわかっていて

子を亡くして一番つらいのは、「子の命を救えなかった」事であり「愛しい我が子を殺してしまった」という罪の意識です。

もっと早く病院へ連れて行けば良かった。

医者にもっと状況を伝えれば良かった。

「たぶん大丈夫」と甘く考えなければ良かった。

それらをやらなかったせいで 光志の命を失ってしまった。

亡くなる間際の苦しそうな声。

痛かっただろう 苦しかっただろう。

なんでそんな目に遭わせてしまったのか。

死んで詫びても親としての自分を許せない。

ごめんなさい じゃ足りないけど 本当に本当に申し訳無い。

黒い自責の心と空虚な後悔に心が満たされ、苦しくなるのですが

光志はもっと苦しかったはず。もっと痛かったはず。

本当にごめんね ごめんなさい。。。

そんな やり切れないどうしようもない堂々巡りに陥るのですが

たくさん撮った光志の笑顔の写真を見ると、救われます。

「パパ ママ 大丈夫だよ」

と語りかけるかのよう。

どこかの記事、

「子供の写真を大量に撮り貯めたが、そんな時間があったら抱きしめるべきだった」

とありました。

でも、違います。絶対違います。

「撮るか抱きしめるか」という「二択」にする事がそもそも間違いで。
撮って抱きしめれば良いだけです。当然の事です。

写真は大切な思い出であり、財産であり、残された家族の心のよりどころにもなる、人生における大切なものです。

姿が見えないだけで側にいる 家族はいつまでも5人

そうである事を感じるためにも、たくさんの写真をプリントして家中に飾ったり、一緒にどこかへ連れていったり したいのです。

カメラをお持ちの親御さん。
お子さんの写真、どうか たくさん撮ってあげてください。

切に思います。

金の手の意味

先に書いた変な話。金の手の話。

金の手になって家を守る のが自分ではなくて光志だったとは。

「だから大丈夫」の意味。

光志を亡くしてパパもママも自分を責めているけど「責めなくてもいいよ 大丈夫だよ」

赤ちゃんだからあっちの世界へちゃんと行けるかな歩けるかな という心配も「行けるから 大丈夫だよ」

もう光志と会えない という寂しさに対して「大丈夫だよ いつもここにいるから だから神棚作ってもらったでしょ」

と、そんな事を伝えてくれていたのかも知れません。

金の手と対話をした時、「自分が亡くなって家の守り手になる」ものだと思っていました。

まさか光志が守り手になるなどとは。

と 思いつつ、うすうす そうではないかな とも思っていました。

だから どこか 覚悟していた自分もいました。

そうでなければいい って思ってました。

でも、そうなっちゃたんだな って。

今は忌中なので、金の手に指示された「神棚」は〆られています。

神棚 神殿の戸が開く事、金の手になった光志が家に戻って来て、神殿から家族を見守るのだろうな と考えれば、金の手が伝えてくれた事のほとんど全てに納得できます。

じゃあ 位牌はどうなるの? など、わからない事は尽きませんが。

変な話ですが、

最後まで光志を救おうとしてくれた医師へ伝えた話でもあります。

時間というもの

今年5月に産まれ出た光志が先日9月20日に逝ってしまいました。

またたく間の出来事。

子を亡くす事、わかっていましたが心底ツラいです。

もう会えなくなった悲しみ

いつもいた子がいないという現実の受け容れ難さ

親として子の命を守れなかった事

あの時ああしていればという後悔

泣きじゃくる妻 子供たち

たった119日の命。まるで 舞い降りた天使 でした。

何で もっと生きていてくれなかったのか。あと少しだけでも 言葉が話せるくらいまででも

いくら考えても後悔しても光志は戻ってきません。

それでも、

119日間、本当に幸せでした。

2人の子供に加え、可愛い赤ちゃんがいる生活は、温かで賑やかで、光に包まれた楽園のようでした。

これ以上の幸せは無いな こんなに幸せでいいのかな と感じていました。

もっとずっと光志と過ごしたかった。

毎日抱きしめたかった。

なんで こんなに早く

って思うのですが、

私の119日間は人生の一部ですが、光志にとっての119日間は人生の全てです。

光志は幸せだったか

119日の間、どんな気持ちで過ごしたのだろう

きっと

自分が感じていたような幸せを感じていたのだと思うのです。

だから、光志の人生は幸せな時間で満たされた素晴らしいものだったのかも知れません。

そうだったらいいな

そうだったら嬉しいです。

でも、

もっと長く一緒にいたかったよ。

命を救えなくてごめんね。

でも うちに来てくれて本当にありがとう。

光志と過ごせた時間は最高の思い出でパパの大切な財産です。

愛してます 大好きです

また いつか会えるよね。

家族だからね。

それまで元気でいてください。

家に来たらママとお兄ちゃん・お姉ちゃんを見守ってね。

幸せな時間をありがとう。

さようなら 光志。

足元を見て目標を定める

子供が産まれて3ヶ月。

おかげさまですくすく育ってきております。

10年ぶりの「赤ちゃんのいる生活」は、慌ただしくもあたたかで幸せを実感します。

しかし 当然の事ながら、子育てのために費やす時間が増えてしまいました。

子育てのための時間が増えたにも関わらず、生活や仕事のリズムを変えずに3ヶ月過ごしたところ、仕事の効率が低下して非常に進みが悪くなってしまい、「仕事が速い」という自負が揺らいでしまいました。

つきましては、今の生活に合わせて、時間の使い方や仕事のやり方・明確な目標を定めなければ と思った次第です。

1.仕事を整理して優先度を決めてから手を付ける

2.仕事は日中に行い夜は休む

3.仕事の管理方法を改め改善し定型化を進める(管理表・アプリの作成)

4.直接業務:主にmacを使うデザイン系 間接業務:主にWindowsを使う3.に基づく仕事の管理 とする

昨年はシステム開発業務が中心でしたが今年はデザイン業務が中心なので、ほぼmacで仕事をしており、結果、例えばExcelで線表を書くような管理業務をほとんど行ってきませんでした。

システム屋が本分でありますがほとんどシステム屋の仕事をしていませんので、「直接業務を効率的に行う」事を目的とした管理システムの作成を目標にしよう と思いました。

併せて、会計業務につきまして、市販パッケージを利用していましたが、税理士へ向けての勉強も兼ねた独自会計システムの作成 ももう一つの目標といたします。

という事で早急に取り掛かられたし。

金の手の話

1年半ほど前の不思議な出来事の話、書き留めておこう と思い立ち、つらつらと。

休日の朝。

朝食を済ませた後、居間に寝転がりました。

ふと 壁に目をやると、仏像の手のような「金の手」がそこに見えまして。

「何これ???」と思ったところ

「これはお前だ」との返事。

自分:「どういう事??」

金の手:「死んだ後、この金の手になるのだ。だから大丈夫」

自分:「???」

理解不能な会話(?)のようなやり取りの後、「つまりこういう事だ」と言わんばかりに、金の手が応えてくれました。

「金の手」は家の東西南北にあるのだ と。家の者を守っているのだ と。

なんのこっちゃ?と思ったら、映像を見せられまして。

うちの子、外出しようと部屋を出、玄関に差し掛かった辺りで、家の東西南北の「金の手」が光となって子のいる場所に集まり、子は光に包まれて外へ出て行きました。

「こうやって守るのだから大丈夫」

と。

なるほど 自分もこの世を去った後はそういう存在となり、そういう役割が与えられるのだな と、納得しまして。

そして続いて、

金の手:「ここ(金の手がある場所)に神棚を作れ」

自分:「神棚?今すぐ作ればいいのですか?」

金の手:「今すぐで無くても良い。まずはここに破魔矢(の形をしたものを見せられる)を祀れ」

自分:「神棚はいつ作ればいいのですか?」

金の手:「まだ作らなくて良い。もう少しで作る時が来る」

と、この辺りで、目が覚め(?)ました。

「寝転がって寝てしまったのか 夢か」

と思ったのですが、寝た気がしなかったので、娘に「パパ、今寝てた?」と聞いたところ、「え?パパずっと起きてたじゃん」と。

さすがに「金の手はどこに行ったの?」と聞いたら変な顔をされましたが。

夢のようで現実のようで 何とも不思議な体験でした。

それが2013年の秋。

年が明け、初めて神社で破魔矢というものを買い、金の手に言われた場所へ祀りました。

更に年が明け、2014年も新たに破魔矢を買い、再度祀りました。

ところで私、駆け出しのタロット占い師です。

少し前、これから産まれてくる子供の事を占ったところ、

「新しい子供は、この家に福と富をもたらす目的で産まれ出る」

と出ておりました。

再来月に子の誕生を控えた今日、ちょうど家のリフォームを行っている最中でして。

金の手の出来事から約1年半後、リフォームついでに神棚作りをお願いし、ああ この事・この日だったのね と、全てが繋がった訳です。

ただ それって 自分がこの世から早めにいなくなる って事かも知れない訳で、その時期が 新たな子の誕生の後 って事なのかなー

と、ちょっとコワくもあるのですが、金の手曰く「死んでも家族をこうやって守れるのだから大丈夫」ですか。そうか。

明日死んでも良い生き方をしなさいね という事でしょうかね。

高い目標

目標があるのはいい事だ。

高い目標を定め、「成し遂げる」と決めた瞬間からいろいろなものが変わり出す。

出来るかどうかはやってみなければわからない。

成せなかったとしても得るものは非常に大きい。

もし

高い目標が無いのであれば、今すぐ決めて、今すぐ動き出した方が幸せになれる

と思います。

restart

「終わりだと思っていた子育て、また1からやり直しだよねー」

今年は仕事もそうしようかな と思いました。

「軽いフットワークとふたつ返事で請ける仕事」

それは身軽だった頃の姿勢。

ほとんど一人で仕事をする事はデメリットもあるけど、大いにメリットもあるのです。

関わる人が増えた事、取り組む仕事が増えた事を言い訳にせず、「これから商売始めるんです」くらいの気持ちでやって行きたいな

と思った2015年。

貧乏という病気

・収入・能力・人間性などで自分より上だと思う人を快く思えない

・金持ちに対して悪い感情しか持てない

・世間・社会・ご近所・会社は何もしてくれない

・貧しい側は受け取って当然だからお礼はしない

「貧乏」とは病気である。

病巣は「貧しい心」。

心の貧しい者は、心の豊かな者に引け目を感じるから近寄れない。

近寄らない理由を考え、嫌悪の対象とする。

「貧乏でいいんだ」と、貧しくても満足している者は言う必要のない台詞を言う。

故に貧乏は貧乏とつるむ。

 

・収入・能力・人間性などで自分より上の人を尊敬する

・金は大切なものと思い、得て増やし守れるよう努力する

・世間・社会・ご近所・会社の役に立つ結果、収入や人間性、能力を得る

・受け取った以上のお礼をするのは当然

豊かな者は豊かになる理由がある。

「豊かな心」を得るためにお金は必要ない。

心の豊かな者を妬み背を向けるのではなく

心の貧しい者と手を切り、心の豊かな者と向き合い、付き合い、真似れば良い。

クソみたいなプライドは要らない。