何が損かと言えば

1%の富裕層と99%の云々が

ってよく聞くけど、その言葉によって、

「自分は99%の側の人間であり、搾取されたり損をして生きている。今までもこれからも」

って思い込む事が「損」であろう。

「カネなんて云々」とか言いながらも、そもそもその1%と99%を分けているものは「カネ」である。

「カネばかりの奴はクソだ」とか言いながらカネに注目し、「自分のカネが少ないから損なのだ」などと宣う。

バカ ですか。

カネが欲しけりゃ働けばいいだろう。

働かない理由を並べて、税金もろくに払わずに、カネのある者を妬み、自らは何もしない って何ですかそれ。

一生懸命働いたからカネを得られる訳ではない。誰でも知ってるだろ。

カネが欲しけりゃカネをになる仕事をすればいい。

「それはズルい」 とか、結局理由つけて何もせず、そのくせカネの事を一番気にしている。

いじめがどうだとか野田政権がなんだとか、自らが働く事や生活を営む上で関係の無い方ばかり向いて「自分は99%で損をしている」なんて言ってる奴。

働かない理由考えてどうする気だ? 何が出る?

「働かないでメシを食うのが得で、働くのは損」

って君が虐げる「1%の人間」の在り方そのものだろ。

口先はいいから働いて、テメェの稼ぎでメシ食えって。

核武装

原発の存在意義、一部の人間のメシのため だったら納得出来ないけど、この国の核武装のため だったら納得。

「核のゴミ 処理し切れない」と言いつつ秘密裏にプルトニウムいっぱい取り出して、「JAXAのロケット技術でイトカワ5号」打ち上げだーと言いつつ秘密裏に核ミサイルをいっぱい作っておいてくださいね と。

ただ、いずれにせよ安全管理はしなきゃいけない。

何度も書いたけど、地震・津波対策は向こう数十年間必要な最優先事項だと思うのです。

原子力・核を「推進するか辞めるか」は二の次でよろしい。

どうか惑わされずに

よいもの・よいひと

美味しいもの・美しいもの・ワクワクするもの

そういったものは人に薦めたくなる。

「これ美味しいよ」「すんごくキレイだよ」 とかって。

自らが作ったり産み出したものであれば尚更。

そこには利害や駆け引きが無い。見返りも無い。

「すごくイイ」って高まった思いを伝えたり分かち合ったりしたいだけ。

もの も 然りだが、ひと も 然り。

「すんごくイイ人だよ」 って紹介したくなる人。

そういう人、周りに一人でもいれば幸せ だと思うのです。

そういう人がいて、よいものを産み出せる自分もまたここにいる。

そんな風でありたい 訳です。

方法はいくらでも

できる方法はいくらでもある。

できない 無理 と、決めつけて「やらない」のは、実に楽な事。

大抵の事、できない のではなく、やらない だけ だろ。

ただ

心持ちが下向きだと、そんな風に できない 無理 って思い込みがち。

だから、上を向いて。

上を向くのが難しかったら、上を向いてる人に会えばいい

と思うよ。

孝行

親のために何かをする も親孝行だけど、自らが幸せに生きる事の方がよっぽど親孝行。

それ、親だけじゃないな と ふと思いまして。

幸せに生きる事 は、家族のためにも友達のためにも行うべき事だよね と。

姿無き者の力

今現在、姿が無い – その場所にいない – 家族や友達。

彼らの存在は、生きるお見本であったり、存在自体によって安心がもたらされたり、反面教師であったり、憎まれたり憎んだりと、自らの生き方・考え方・行動に対して、何らかの影響が与えられる。

それが、姿無き者の力を受けている という状態。

姿無き者が、生きていても死んでいてもそれは変わらない。同じ様に力を受ける。

亡き者に護られる とはそういう事だろう。

亡き者でさえ、自らに力を与えているのだから、生きている者は尚更。

だから、正しい願い・望み・祈りは叶う。必ず。

一筋の光

先が見えないと絶望する。

「この夜は明けない」と思い込んでしまう。

でもやはり明けない夜は無い。

極僅かな

見えるか見えないかわからないような光であっても、「一筋の光」は道しるべとなる。

「光」は善いもの。

「そちらへ行けばいい」という事、問答無用に諭されて、身体が動く。

よい方向へ歩き出した時、絶望から開放される。

全てが繋がる。

何故かわからず身に付けたもの、興味を持ったもの、調べあげた知識、それらの点が繋がり、おぼろげなのに確信めいた「何か」 - それが「光」なのだろう - を感じる頃、夜は明けていく。

ちょうど足を怪我している。恐らく骨折の類。

その事にさえ意味がある。

走らず歩け 一歩ずつゆっくりでいいから 急ぐな

と、そういう事だろう。

恩を返す時

今、「在る」のは誰のお陰か。

誰のお陰で飯を食い、衣服を纏い、そこへ住んでいられるのか。
世話になった方へ恩返しをさせていただく事が出来るのは、生きているうち。

彼が亡くなってから頑張る のでは遅過ぎるのではないだろうか。

唯一無二

他に無い。唯一無二。絶対的なオリジナリティ。

同じ人間はいない。

個の存在とは「唯一無二」であるもの。

「表現」すべきは人との違い。

いつまでも人の真似をしているべきではない。

例えば「整形」。

理由はどうでもいいが、結果、「唯一無二」を捨て、誰かと・何かと似たような者になる そういう形になる 即ち「真似をする」事である。

やる事だけでなく、姿かたちまで人の真似をして「アーティスト」だとか「クリエイター」だ、挙句の果てに「オリジナル」「個性」を叫ぶなどちゃんちゃらおかしい。

「誰々みたいになりたい」

無理だって。
彼は彼、君は君でしかない。いいとこ真似する程度なら理解できるけど、彼にはなれない。

もう少し意味を広げると、「人がイイと言っているからイイ」「流行ってるからイイ」っていう価値観みたいなものも同類。

どれだけ自分に自信が無いのか。どんだけ自分が無いのか。

それでも女子だったらカワイイと思えるが、男子がそれだとダメだろ。

性別関係なく、矢面に立とうとする者、依存を捨てて歩こうとする者、自分はこれがイイんだ! って叫ぶような人、いっぱいいる。

そういう人、イイと思う。好き。

窓を開ける

事務所。

窓を開ける。

少し冷たい風と、緑の匂いは初夏のそれ。

空が青い。

週末は晴れるだろうか。

野山の空気を吸って、写真も撮りたいな。

そんな風に思う。

人間、若い頃は刺激を求め、年齢とともに落ち着き・安らぎを求めるそうだ。

つまり、歳を取ったな と感じる。

歳を取るのは良いこと。

様々な経験をし、様々な人と関わり、様々な事が出来るようになってくる。

歳を取ることと、老けることは全く違う。

人生、半分くらい過ぎた。

今、折り返しの辺りを歩いている。

身に付けたもの、手にしたものを存分に使い、楽しみながら、老けること無く、歳を重ねていきたい。

なんか

ジジイっぽいね