フリーランスだとか会社員だとか派遣だとか

それ、労働形態の話。

労働形態より、「自分がやりたい仕事」の方が大事 です。

労働形態に拘るのではなく、自分がやりたい仕事に拘った方が良い です。

自分がやりたい仕事ができれば、労働形態も改善されていきます。

そんな事、言われなくたって 知ってるよね 本当は。

やりたい仕事が無い だけだよね。

目標も希望も無く 日々惰性で過ごしてて 虚しいから 八つ当たりしたいんだよね。

元気で頑張ってる人とか 上手くいってる人とか 直視出来ないだろうね。

悔しいだろうね。

情けないだろうね。

苦しいだろうね。

でもさ

君のやりたい仕事なんて

知らんわ。

経験上、

頑張ってる人とか 上手くいってる人と話したり

それが出来ないなら

本読んでみるとか 何か勉強してみるとか 今までと違う事を始めてみるとか

そういった行動がきっかけになって、やりたい事とか 目標とか 見つかるものだけど

君がやっている事は どうなんだ。

惰性で生きるのが嫌だ

って言いながら

惰性で生きちゃっていませんか?

勉強する時間 たっぷりあるのに 遊んでませんか?

今が勉強したり 変わるための行動起こす時だと思いませんか?

でも

言ってもダメだよね。言われたくないよね。知ってる。

だから

やっぱり

知らんわ。

自分は

やりたい事がけっこうあるので

失礼します。

FACEBOOKのカバー写真を変更する方法

iPhoneの事、iPadの事、FACEBOOKの事などなど。
相談や質問を受けて回答させていただいた事、こちらへまとめていこうと思います。

パソコンからFACEBOOKのカバー写真を変更する方法です。

まず、FACEBOOKにはカバー写真とプロフィール写真があります。

ページ上部背景にデカデカと掲載されるものがカバー写真、小さい四角に表示され、自分のアイコンのようになるものがプロフィール写真 です。

そのカバー写真変更、以下の図を参照くださいませ。

心が荒んでも

考えたくない事ばかり考えてしまう。

人の事を悪く思ってしまう。

そんな自分が嫌になる。

自分はこんな人間なんだ、と卑下してしまう。

でも、

心がそうであっても、行いや言葉、外に発せられるものが良ければ良いのではないか。

心がどれだけ美しくても言葉や行いが酷い人より遥かにマシである。

ぐっと堪えて良い事をする。
笑顔で人と対峙する。

そうしていれば、心の曇りが晴れ、荒んだ心は隅に追いやられる。

行動 あるのみ。

それがいい。
今すぐそうしよう。

丁寧な仕事

撮影を請け負った場合、本番撮影の前に現場の下見をする。

光はどうか 広さはどうか 当日の進行はどうか 被写体の動線はどうか

そんな事を確認。

撮影当日、現場へ少し早めに入り、本番環境の確認・試し撮りなどをして本番に備える。

備えあれば憂い無し。

そうやって準備してから本番に臨むと、まず失敗は無い。

そんな風に撮影に臨むようになったのは、割と最近の事。

「技術や道具があれば本番がどうであろうが臨機応変に対応できる」

それはそうだが、それは傲慢というもの。準備なしで本番に臨むのは明らかに粗雑である。

以前、「撮影は本業でないし」などと思い、下準備無しで本番に臨んでいた。

丁寧な仕事 粗雑な仕事

どちらがどうであるかなど、比べるまでもない。

仕事が上達すればするほど、本番より準備や練習の方が大切である事を知る。

準備や練習 という土台があるから、本番では「余力を」臨機応変に活かせる。

準備が足りないと、本番では「仕事をこなす力を」活かすのが関の山である。

今行うべきたったひとつの事に集中して丁寧に。

地味だけど、そういった行いが よい・美しい と思えるこころ 大事。

やましい心と詭弁

妬まれる・やっかまれるのは好きじゃない。

そういう人と関わらないようにしている。

って話すと、

「でもさ そういうヤッカみとか嫉妬って誰でもあるでしょ。無い ったら嘘だよ」

などと答える人もいる。

そりゃそうだ とも思ったけど、詭弁に過ぎない。

「妬み」を根源とするやましい心は、例えれば「うんこ」のようなもの。

うんこ は誰の腹の中にもある が、便所で出すものであり、人前で出すものではない。

うんこ 目の前に晒すような奴と関わりたいと思うかい? って話。

恐れ入りますが

僕が君と関わりたくないのは、目の前でうんこをしていただけるからです。

わかった?

振り返る

年末なので今年を振り返ってみる訳です。

一番思い出に残っている出来事は仙台旅行(?) かな。

唐突に出掛ける ってイイ。

牛タン美味かったし、宿も無事に取れたし、楽しかったな。

旅行じゃないんだけどね。
カメラが壊れて即刻修理が必要だったから当日中に持ち込んだ ってやつ。

仕事面では、「匠の職人表彰」を受賞された方を見て、向かうべき方向が良く見えたのは大きいです。

だから、ダンス撮影の件、大変良い仕事が出来ました。

表現を表現で返す みたいな。

でもそれらがご破算になるくらい大変だったのは家庭の事。

奥様、完全に脱毛症状態だし、身体の症状が他に出ないか気が気で無かったのです。

落ち着いて仕事も出来ない状態。

でもそれも今年で終わり。

厄年だったのだとしたら、奥様が身代わりになって厄落とししてくれたのかも。
1年ダメだったけど、ようやく毛も生えてきたし、大丈夫 きっと。

展望 みたいな ビジョン みたいな

新しいカタチをしたそういうイメージが見えてます。

今年は 支度の年 我慢の年 でした。たぶん。

来年はいろいろ変わっていく事になる気がします。

変化 は人間関係を伴うもの。

善きそれと交わり、悪しきそれを断つ。

歳も歳。

己を信じ、「気に合う 気に合わない」で付き合う相手を決めるべき。

そういう風に動けば能動的な変化が訪れるのは当然の事。

今年を振り返る と言うよりは今後を見てるだけですねそうですね。

来年は良い年 にする 絶対。

手入れ

手入れは大切である。

例えば一度建てると手入れしなくても永久に過ごせる家 など無い。

庭木も然り。剪定したから後は永久に何もしなくて良い訳など無い。

もともと人など住んでいなかったこの地。

手入れをし続けているから、人が住むことができている。

つるがからみ付き、葉っぱと苔にまみれた廃墟を見ればわかるだろう。

あらゆるもの、手入れしなければ自然に還る。

古いもの アンティークの類が良いとされるのは、手入れの大切さを知り実践できる人が丁寧に使い続け現代まで受け継いできた という価値による。

ものは使われるために作られる。飾るために作るのではない。

よいものを持ち、扱っている人はそれが出来ている。

金があるからよいものを持ち、扱っているのではない。

彼らは、もの・人に対し手間ひまを惜しまず丁寧に接し、手入れを続けるこころを持っているから、よいもの・よい人と共鳴し合い、引き寄せられ、人を通じ金も巡って来るのである。

友を思い時々顔を出したり連絡をする、よいものが手に入ったら差し上げる、施されたら礼を尽くす。

人に対する「手入れ」、そういう事かも知れない。人間関係の手入れ。

夢目標に向かう事よりも、そういうこころを持ち過ごす事の方が大切。

そういうこころを持ち過ごす事で、結果として夢目標も叶うのだから。

人に対する手入れ ものに対する手入れ

どちらも「自分のこころの手入れ」によって成される。

こころの手入れ、ひとりだと難しい。

だから、家族に 友達に感謝 です。

離れるもの 寄り添うもの

離れていく者があれば、寄り添ってくる者もいる。

自分を基準に考えると、離れていく者と寄り添ってくる者は真逆の属性を持つ。

「類友」

離れていく者、寄り添っていた頃はそうであった。

類友であった頃、確かにあった。

以前は離れていたが、寄り添って来た者は逆。

交わる事が無いと思っていた者、いつの間にか類友。

人間の状態、一定ではない。

森羅万象 万物と同様、常に変化し続けている。

だから

今の自分がどうであるかは、周りを見ればすぐわかる。

素晴らしい人がそこにいるから 救われる。

「ああ 大丈夫なんだ そうか 卑下するのは自分にも相手にも失礼だな」

と 冷静になれる。

ブログを書く時間 こころの整理。

タラしても

タラしてもタラしても仕事が来る。

ひとつ片付けば3つ仕事が来るから一向に減らない。

前向きに考えたいが、ただただ疲弊。

泳いだり 酒を飲んだり 写真撮ったりして現実から目を背ける。

この状況 仕事量とかパワーとかの問題ではない。

家庭の問題。

困難はどこの家庭にでもある事。

うちだけじゃない。

知ってる。

疲れたこころで そんな事を考えていても

やはり新しい仕事が来る。

こんな自分に仕事を任せていただける ってのは本当にありがたい事。

現実を前向きに捉える事ができている反面、疲れてしまった自分もいる。

片方の自分は上へゆっくり、もう片方の自分は下へゆっくりと向かっている。

こころの乖離が進行中 気付いてる。

ゆっくり休んだほうがいい って思うけど

家庭に問題があれば、本当の意味では休めない。

でも 自分はこの家の主であり、男であるから、絶対に負けない。

闘い抗い耐え抜き、最後は勝つ。

当たり前の事。

そうそう

受け入れて向き合えば実際はたいしたこと無い。

まだ受け入れ切っていないだけ。

今よりツラい状況は既にくぐり抜けてきた。

それに比べれば余裕 だろ 自分。

ブログ書く余力もある。

大丈夫。

食うために働く

食うために働く

ごく当たり前の事。

しかし、自分だけ食えればいい って、全員が思ってしまえば発展もヘッタクレもない。

だから

せめて、自分だけ食うために働く であっても、「人の役に立つよう」でないとね。